便所で飯を食う

 丸太町通の古本屋で本を何気なくめくっていたら

「誰しも雪隠で饅頭を喰ふたやうな顔をしているが、神は全てお見通しである」

という文を見て思わず吹出したことがあった。まあまあなるほど。たしかにこの世は穢土えどには違いないが――ただ、書名を見やると大本の宗教書のようであった。大本は神道系だから穢土とは言わないかもしれない。

 ところで、熊楠の母はつねづね「厠を軽んじてはいけませんよ」と熊楠に教えていたそうである。なんとなれば、むかし泉州のめしと呼ぶ富家は、元旦に先祖が雪隠の踏板に飯粒が三粒落ちているのを見て、それを押し頂いて食べたところから幸運を得、大いに繁盛したのだから、という。これは三井家の話であるらしい。

 そもそも便所に飯粒が落ちていたということは、誰かがそこで握り飯でも食ったのであろう。とすれば「便所飯」とやらの歴史もずいぶん長いということになる。


 まあ時には便所で飯を食わねばならぬこともあろう。その時はしっかり食べ終えてから「雪隠で饅頭を喰ふたやうな顔」をして口を拭って出てこなければならない。なぜなら――

或る日、故ホジャに、

  雪隠かわやでものを食うてもえもんかな?

と訊いたげな。ホジャは、

  えわい。じゃが、出るとき、口をモグモグやってたら、
  何か妙なもんを食うたと思われるぜ。

と答えたげな。

護雅夫訳『ナスレッディン・ホジャ物語 トルコの知恵ばなし』平凡社東洋文庫 p.64

 あらぬ疑いを避けるには、妙なところでものを食わないに限る。

 しかし、便所に人の食欲をそそらせる物などあるまい、と安心もしていられない。

 晋の王敦が皇女の婿になったときのこと。厠に行くと、漆塗りの箱に乾棗が保ってあるのを見て、「厠にまで果物があるとは」と感心して食べてしまった、という故事がある(『世說新語』紕漏)。棗は乾くと良い匂いがするため、厠に入るときに鼻につめるのだが、王敦はそれを知らず食べてしまったのである。一時の過ちのためにこのような文が残され、今に至るまで恥をかくことになったのだった。
王敦初尚主,如廁,見漆箱盛乾棗,本以塞鼻,王謂廁上亦下果,食遂至盡。既還,婢擎金澡盤盛水,瑠璃盌盛澡豆;因倒箸水中而飲之,謂是乾飯。群婢莫不掩口而笑之。

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