また沖縄で病理学会をやらないかな、と思っている。
たいてい座長やらなんやらで呼ばれるし、そうでなければ演題を出せばいいだけである。開催されるとすれば秋であろうし、とすれば、海の蒼が夏のそれより一段深まる頃である。喧騒も去り、礁に隔てられた水の色を前にして半日を過ごせるならば、それだけで南へ下る甲斐があろう。座長の務めなどは、午前のうちに片付けてしまえばよい。
ただ、あいにく2014年の秋学会を逃してしまい、その前の沖縄開催は1996年であるから、まだ当分先になりそうだ。
かわりと言ってはなんだが、書棚にいつの間にかあった『沖縄の犯科帳』を読んでいたら、気になる記述を見つけた。これは、琉球王国の裁判所であった平等所の裁判記録の筆写であり、平凡社東洋文庫に入っている。最初は『包公案』『棠陰比事』『本朝桜陰比事』のような公案物(名裁判集)かと思って読み始めたのだが、むしろ実地の判例集であって、琉球の風俗・法制を知る好資料でもある。
さて、盗みをはたらいて流刑になった咎人が脱走(「缺落」と呼ぶ)し、再度捕まった時の尋問記録(「口問い」)から――
「私は流刑になり、掟(島役人)の下男になって農業をしていました。食物は、たいてい蘇鉄を食わされましたので、まことに暮しにくく、そこで(舟を盗んで島抜けした・略)
しぞーかに住んでいた頃、能満寺のソテツを見に行ったことがあったが、まさかソテツが食えるとは思わなかった。能満寺のソテツについては、このソテツを気に入った家康が駿府城に移しかえたところ、毎晩「帰ろう、帰ろう」とソテツから声が聞こえるので、能満寺に返した、という伝説がある。もっとも、これは『絵本太閤記』に全く同じ話があり、そこでは信長が妙国寺から安土城に移植したことになっている。ソテツはシアノバクテリアという共生藻のおかげで窒素化合物を提供されており、痩地であろうとたいていの土地で育つものであるから、そうそう帰巣本能などなさそうではあるが。

食用の話に戻ろう。高崎崩れのとばっちりを食って流刑に遭い、奄美大島に一時滞在した薩摩藩士・名越左源太が著した『南島雑話』を見てみると、確かに代用食として植えられていたことがわかる。ソテツは幹が太く強健で暴風に耐えられるだけでなく、肥料も不要で手をかける必要が無い点が好まれたと見える。沖縄戦においても「決戦食」にソテツが挙がっている。
食用となるのは主に種子である。ただしソテツはcycasinという有毒成分を含み、これは分解されてformaldehydeやdiazomethaneを生成するため、そのままでは食用にできない。有毒成分は水によく溶けるので、それを生かした毒抜き法がある。まず、種子の皮を剥いて乾燥させ、それを一昼夜以上水に浸漬させる。時々攪拌して水を替える。最後に布やザルで濾し、煮沸して煮出すことで、デンプンだけを取り出すことが可能である、とのこと。もしこれらの作業が不充分だと、抜けきらなかった有毒成分による中毒を引き起こすことになる。
「蘇鉄の世」あるいは「蘇鉄地獄」とは、飢饉による苦境を表わす言葉であるが、同時にソテツ中毒による惨状を示すものでもある。戦前の琉球新報にいくつもソテツ中毒の記事があるので、いくつか引用してみよう。引用はいずれも当山昌直「近代沖縄の新聞にみられる蘇鉄」沖縄史料編集紀要から。なお引用にあたって適宜句読点を補ってある。
宮古郡下地間切仲地村KH(三十八)妻K(三十八)長女M(十八)長男H(十三)二女K(七年)は、去十月二十一日蘇鉄を蕃薯に混じ煮飯となし一同昼食を為したるに、仝日午后七時頃より一同全身に倦怠を生し、間もなく嘔吐し且つ下痢する等の一層の苦悶を為し、言語も通せす人事不省の容態となりたれば、近隣の者共周章(引用者注:慌てふためくこと、狼狽)直に医師を招き治療に手を尽したれと、長女M長男Hの二人は其翌二十一日午前四時に、K夫婦は同日午后五時に死亡したる由。二女Kは経過宜しく次第に快癒の様子にて生命に別条なかるべしといふ
明治35年11月11日 琉球新報 3 面
慶良間島渡嘉敷間切仝村のAU仝Uの両名は、去月十八日正午十二時頃蘇鉄の断片を米に混し雑炊にして食したるに、両人とも数時間の後は頭痛と共に顔色蒼白となり二三度も吐瀉を為したるも中毒とは思はず同日の夕食及翌日も同様の食事を為したるに、病状次第に重くなりて腹部は次第に膨張し数度の嘔吐を催して身体著しく衰弱したるを以て大に驚き、始めて医師の診察を受け服薬せしも其甲斐なく遂に去二十二日午前六時頃死亡したる由なり
明治37年9月13日 琉球新報 3 面
ソテツ中毒の事例は概ねこのような経過を辿るようだ。
此の程国頭地方の或る村落に於ては、唐芋欠乏の為め先月頃より蘇鉄を採食する由なるか。元来蘇鉄を食して其の毒に当り甚たしは即死するものさへありたる事は屢々吾人の耳にする所なるか、或る実験の語る所に依れは茲に一の妙薬あり。そは何の造作もなく其の毒に当る時手早く家鴨の生血を取りて之れを飲まし玉はれ。忽ち全癒して中毒の為め非命の死を遂くるか如き憂なしと云ふ。時節抦注意すべき事共なり
明治 34 年 4 月 17 日 琉球新報 3 面
しれっとわけ分からん解毒法が書いてあるのがおもしろい。
この前内地で蘇鉄の実が万病の薬だと云つて発売したさうだが、素性の知れぬ霊薬はウツカリ出来ぬもので、この程名古屋で沖縄県産出の蘇鉄の実は天然の霊薬なりと触出して発売した者があつたが、僂痲貿斯を患つて久しく苦しんでいた或る下駄屋の下女が三個十銭で買つて煎じて飲んだ所、炊事中突然眩暈を感じ「薬屋に殺された」と叫んでドツと打倒れて人事不省になつたと同地の新聞にあつたが矢張これも蘇鉄の中毒だから恐ろしくなる
大正3年 8月30日 琉球新報 3 面
新聞記事にはこのほか多くの死亡記事が掲載されている。これらから推測するに、摂取から症状が出現するまでの時間は4~24時間ほど。症状として最も多いのが腹痛および嘔吐で、下痢、頭痛・胸痛、酩酊症状、咽頭違和感の報告もある。転帰については、数日の内に約半数が死亡している。(死亡しなかった場合、新聞記事にならない可能性もあるので、その辺のbiasを差引いて考える必要があるが)。私がソテツ中毒患者を診ることはあるまいが、もしかするとホルマリン中毒者の解剖を行うことがあるかもしれないので、備忘として記しておく。
さんざん中毒の話ばかりしてきたが、デンプンにまでにせずに、味噌・醤油として賞味する方法もあるらしい。西田孝太郎博士によれば「蘇鉄で造つた麹は風味が極めて良好で恰然甘栗の様な味であります」とあるし、ぜひ試してみたいものである。沖縄で学会があったらソテツ料理を食べさせてくれる店を探してみよう……しかしてそれはいつになるのやら。
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