「薑という字はどう書きますか」
と聞かれたある男、
「まず草を書き、次に一を、そして田、また一、またまた田、最後に一です」
と教えやった。教えてもらった男、言われるままに
草
壹
田
壹
田
壹
と書いて(「壹」は「一」の大字)、ためつすがめつしていたが、
「あいつ馬鹿にしやがって。こんな字があるものか。これじゃまるで塔じゃないか」
有問薑字如何寫者。對以草字頭。次一字。次田字。又一字。又田字。又一字。其人寫草壹田壹田壹完。玩之。罵曰。如何誑我。有此字。分明是一座寶塔兒。
『笑府』巻一「訓子」
このように、漢字をへんやかんむりなどに分解することを拆字と言い、拆字によるなぞなぞ遊びを字謎と呼んだりする。たとえば、
小僧「水辺に酉がいるようですが、山に山を重ねましょうか?」
→ 水と酉で「酒」、山をふたつ重ねると「出」。「酒でも出しましょうか?」
主人「丿乀夕夕」
→ 丿乀あわせて「人」、夕夕で「多」。「人が多いからやめておけ」
客「なんと、ここの主人は玄田牛一だ」
→ 玄田で「畜」、牛一で「生」。この畜生め
これはわりと単純な例だが、漢字の本場のあちらさんになると、もうちょっと捻ってくる。『世説新語』捷悟にのっている楊脩と曹操のやりとりが有名だろうか。
門を作っていたときのこと。曹操が視察に訪れ、「活」の字を書いて去った。「門」に「活」であるから「闊」、つまり「広すぎるからダメ」ということ。
次。
酪の貢物があった。まあヨーグルトのようなものである。曹操はすこし食べてから、フタに「合」と書いた。「合」はうえから「人一口」に分解できるから、「お前らも一人一口食べろ」という意。
次。
とある碑に「黄絹幼婦外孫韲臼」と評が刻まれていた。黄絹とは色絲(糸)であるから「絶」、幼婦は少女なので「妙」、外孫とは女(女ではない)の子なので「好」。まあここまでは分からんでもない。しかし、「韲臼」が辛みそを受ける器だから受辛で「辤(辞)」というのは捻りすぎである。「絶妙好辞(すばらしい文章)」とひねくれ者の楊脩はその場で答えがわかったが、曹操は三十里ほど行ってやっと理解したので、自分の才は楊脩に三十里及ばないと歎じたという。
さて本題。
入矢義高訳注 『洛陽伽藍記』を読んでいて首をひねった箇所がある。
高祖は大いに笑った。そこで酒盃を挙げて言った。
「横が三三、縦が二二。この謎を解いた者には金の盃を与えよう」
御史中尉の李彪の答え、「酒を沽る老嫗、瓮より瓨に注ぐ。屠児肉を割いて秤と同じゅうす」。
尚書左丞の甄琛が言った。「呉人水に浮ぎて自ら工と云う。妓児縄を擲げて虛空に在り」。
彭城王勰が云った。「私はこれが「習」の字だと今わかりました」。
高祖はさっそく金の盃を彪に賜った。朝廷の人たちはみな、彪の機敏な才智に、また甄琛のそれに和することの速さに感服した。
私個人としては彭城王に同情したい。というか私がその場にいたら、前二人が何を言っているのかさっぱりわからず、口をあけてぽかんとしていたに違いない。
酒を量り売りする婆さんが、客の持ってきた瓨に瓮から一滴もこぼさずに注ぎ入れたり、肉屋のおやじが一発で秤の通りに肉を切ったりするのは、全て「習」の技であろう。呉の人が水泳が得意なのも、軽業師が上に投げた縄をするする登るのも、たしかに「習」である。それはいい。
問題は「横が三三、縦が二二」がなぜ「習」になるのか、である。横に「三三」と書いて、縦に「二」を加えると、「ヨヨ」のようになり、見ようによっては「羽(羽)」にはなるかもしれない。で、もうひとつの「二」はどこに?

まだある。「習」の字をつくるには「白」が足りないが、これも一体どこから来たのだろうか。訳文・注ともに見たが、どこにも書いていないのである。無理矢理似せられなくもないが、さすがに無理があろう(マウスで字を書くのは難しい……)。

しかたない。原文を参照してみよう。高祖(北魏孝文帝)のなぞなぞは以下のようである。
高祖大笑,因舉酒曰:「三三橫,兩兩縱,誰能辨之賜金鍾。」
「三三橫,兩兩縱」なので、三を横にふたつ並べ、「兩兩」に縦線を加えれば、「羽(羽)」になる。先の手書きで合っていたことがわかる。
この部分には、以下のような注釈がついている。
「三三橫,兩兩縱」,為「羽」字;「金鍾」,酒杯也,亦名「大白」。「羽」加「白」,得「習」字。「沽酒」、「割肉」、「浮水」、「擲繩」句,皆言「習熟」之意也。
「習」の字をつくるのに必要な「白」については、金鍾の別名は大白だからそこから来たのだというが、承服しがたい。 ナゾナゾはあくまで「三三橫,兩兩縱」のはずである。「この謎かけがわかったら、金盃をあげよう」と言っておいて、その謎かけに金盃の部分を含めるのはおかしくないだろうか?
趙翼の『陔餘叢考』を見ると、すこし字が変わっている。
魏孝文帝云:「三山橫,兩人從,妓女白日行青空,屠兒斫肉與秤同,有人辨得賞金鍾。」彭城王勰曰: 「乃一習字也。」
『陔餘叢考』巻二十二
しかし正直なところ、「三山橫,兩人從」でもなぜ「習」になるのかさっぱりわからん。
後書きで訳者が述べているとおり、『洛陽伽藍記』のテキストには誤字脱字が多いとされる。この箇所も何か抜けているのかもしれない。すこし時間をおいてまた考えてみよう。
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