あさねのうた

 小学生のころ「たのしいこと」という題で作文を書かされたことがあった。私は嬉々として

いちばんたのしいのは朝ねることです。ねながらお母さんが朝ごはんをつくってくれる音をきくのが好きです。ししゃものすこしこげたにおいや玉子焼きのあまいにおいがただよっててくるのがうれしいです。しばらくするとお父さんがドアをあけてしごとに出かける音がきこえるけれど、でもぼくはまだねていられるのがしあわせです。

などと書き周囲を大いに呆れさせたことがあった。しかし偽らざるところこの思いは今も変わらない。当時と違うところがあるとすれば、誰も朝飯を作ってくれないこと、そのまま寝ていると職場からけたたましく電話がかかってくることである。

 しかしなぜ世の人はかくも早起きなのだろうか。

 山本翁の言うように「夜はねむるものである」を真とするならば「昼ははたらくものである」もまあしかたがない。しかし、それならば朝は半分寝て半分働くのが公平というものではないか。世のお偉方なんかは朝の六時には自分がエラーイ人であることを自覚したいかもしらんが、私のような一介の代用教員からすれば、朝九時に自分が下っ端であることを思い知れば十分である。

 古今朝寝は悪徳のひとつとして指弾されてきた。

曰く

夏至の日に朝寝をすると禿げる

とか、

朝寝は八こくの損

だとか、

朝寝は泥棒の始まり

とかいったものである。「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」と筆頭に挙げられているほどであるから、まあまあ誇らしいではないか。そもそも私には潰すほどの身上はないから何の問題もない。

 朝寝が愉しいのは、それが背徳であるからということはあるのだろう。たとえば元禄のころの芭蕉の句にこんなものがある。

おもしろきあさの朝寐や亭主ぶり

 世間の人は早く起きて働いているのに悠々と寝ていられる楽しさと、それを許してくれる車庸の心づかいを称えた句である。

 そういえば湖南先生なんかも大の朝寝坊であったが、事務方もそのことは知っていて、講義はいつも十時以降に時間割を組んでいたということである。

 嗚呼いまの世にこのような朝寝を許してくれる粋人が少ないのはなぜだろうか。不材の身では酔吟先生のように分司東都の職につくなんてこともできそうにないし、私のような平凡な勤め人が朝寝の楽しみをもう一度味わうには、いますこし時間がかかりそうだ。

 鳥鳴庭樹上   鳥は鳴く 庭樹ていじゅの上
 日照屋簷時   日 屋簷をくえんを照らす時
 老去慵轉極   老い去りて 慵轉よううたきはまり
 寒來起尤遲   寒來りて起くることもつとも遲し
 厚薄被適性   厚薄こうはく被性ひせいかな
 高低枕得宜   高低枕よろしきを得たり
 神安體穩暖   しん安くして体穏暖なり
 此味何人知   このあぢはひ何人なんぴとか知る
 睡足仰頭坐   睡り足りて頭を仰いで坐し
 兀然無所思   兀然こつぜんとして思ふ所なし
 如未鑿七竅   未だ七きううがたざるが如く
 若都遺四肢   すべて四肢をわするるが若し
 緬想長安客   はるかに想ふ長安の客
 早朝霜滿衣   早朝霜衣に滿たんことを
 彼此各自適   彼此ひしおのおの自適す
 不知誰是非   知らずたれか是非なるを
――
庭の樹では鳥が鳴いている
ああもう日が高く昇り軒を照らす刻か
老いたこの身では何をするのも懶く
まして寒くなれば起きるのはますます遅くなる
このフトンは厚さもほどよく
枕の高さもちょうどいい
身も心もぽかぽかあたたかく
この味わいはとうていほかの人にはわかるまい
寝飽きて起きてもなにも思い煩うことはない
まるで七穴を穿たれる前の渾沌のように
四肢五体を忘れてしまったかのようだ
はるか遠い都ではきっと
朝早く参朝するので服は雪まみれになっていることだろう
都にときめく身もここで朝寝を貪る身も
どちらも心の満足を得ていることに違いなんてないさ
世間の万事は何が良いやら悪いやらとんとわからんものよ

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