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箚記
沈雲英實錄
顕微鏡を覗く眼を休めるため、職場の個人書架から本を取り出して読んでいたとき、ひとつの文が目にとまった。 攻道州,守備沈至緒戰歿,其女再戰,奪父屍還,城獲全。 『明史』張献忠傳 張献忠の軍が道州を攻めたとき、守備(官名)の沈至緒が戦死した... -
箚記
女性と破瓜
長年妙な思い違いをしていたことに気がついた。 秦淮の妓女に宋惠湘という人がいた。明の滅亡による混乱のさなか、兵火に追われ彷徨ううち、軍に捕らえられた。最期の時、彼女が流れる血で壁に書きつけた絶句の一部にこうある。 盈盈十五破瓜初 ... -
箚記
本から車が飛び出てくるぞ!
初めて自分のこづかいで買った本のことはよく覚えている。 場所は梅田の旭屋書店、エスカレーターを降りてすぐ右手の文庫本コーナーで、買った本は遠藤周作の『ぐうたら生活入門』である。 帰る段になり、階段で買った本を父に見せると、父はすこし... -
箚記
おのづからうちおく文も月日へて
亡くなった祖父の書架を整理していたとき、紙魚を見たことがあった。あれはたしかアンドレ・モーロワの『英國史』で、今は珍しいフランス装の本だった。 紅箋白紙兩三束 紅箋白紙兩三束 半是君詩半是書 半は是れ君が詩、半は是れ書 經年不展... -
箚記
日坂のわらび餅のゆくえ
最近とんと聞かなくなったが、夏の昼どきになると、 わらびーもちー わぁらぁあびぃいいもちぃいい つめたくてぇー おいしいよっ! と流しながら街をぐるぐる回る軽トラックがいたものである。 それを聞くたび、子供心に「わらび餅は... -
箚記
二宮尊徳のランチョンセミナー
医学部は六年制だが六年間みっちり授業が詰まっているわけではなく、四回生くらいで講義の方はだいたい済むカリキュラムになっている。残りは病院実習である。内科・外科・救急などなど、それぞれの診療科を数週間単位で巡るのである。 病院実習は大学... -
病理
ナイフは左か右か
むかし勤めていた病院では職員互助会主催の「テーブルマナー講習会」というものがあった。職種に関係なく、部署ごとに希望者を募って外部の料理店で行われる講習会である。 病理でも技師さんがやって来て「先生も行きますか?」ときかれたので、「なん... -
箚記
鏡張りのトイレと大阪弁
学会で東京に行ったとき、ひとりでふらっと居酒屋に入ったことがあった。すでに皆としたたか呑んだ後だったので、酒とつまみを注文してさっさとトイレに立ったのだが、そこで驚いた。トイレが天地四方すべて鏡張りだったからである。 ああこれが狐狸庵... -
箚記
虎のきんたま
北サハラのある部族では、貴人の目の前で生きた牛から睾丸を抜き、その睾丸をそのまま食卓に上らせるのが最上級の敬意の示し方である、というのを以前誰かから聞いたことがあった。 へぇと思いつつ、もし、ちゃんと調理するとしたらどうすればいいかな... -
箚記
最も畏るべき者は人に若くはなし
あるところに仇を避けて深山に身を隠している男がいた。白い月が昇り、清らかな風が吹くある夜のこと。男がふと見やると、白楊の下に幽霊がいた。男が地に伏せて身を隠すと、幽霊は彼の方に振り向いて言った。 「そんなところに隠れていないで出てきたら... -
箚記
茶碗蒸しの科学
アメリカにいたころ、アジアンマーケットの食器コーナーでちょっと珍しいものを見つけたことがあった。なにかというと、フタのついた大きめの湯吞みである。 あっ、と手を伸ばしカゴに入れたのだが、そのココロは「これで茶碗蒸しをつくろう!」という... -
箚記
おにいちゃんもうがまんできないわたしをおんなにして
No Game No Life: Zero で Riku とSchvi が出会ったとき、Schvi が棒読みで「おにいちゃんもうがまんできないわたしをおんなにして」と言うのだが、その場面の字幕にこうあった。 I can't resist you, Big Brother. Make a woman out of me. Make A (o... -
箚記
中国初の女帝(自称)陳碩真
中国の女帝というと周の武則天が有名かつ唯一だが*、彼女が帝位に就く四十年ほど前、今の浙江省杭州市のあたりに、自ら皇帝を称した一人の女性がいたことはあまり知られていない。彼女の名は陳碩真と言う。唐高宗の永徽四年(653年)、彼女は睦州で朝廷... -
箚記
スイカ糖
料理の製法を読むのは楽しいものである。 食譜を眺めつつ、どんな料理か空想するのはよい暇つぶしになるし、随想や回顧録にふと触れられた料理であれば、その調理のさまを想像してもよい。 明末の文士・冒襄は、亡き側室の小宛がよく作ってくれた献... -
箚記
「画縁胎盤」は「がくぶちたいばん」ではない
駆け出しのころ 「『画縁胎盤』は『がくぶちたいばん』と読むんだ」 と教えられたことがあった。 「字が違うようですが」 「それはな」当時の指導医はふん』が生まれたというわけだ。知らなかっただろう?」 彼はふんぞり返った。 当時の私は「まあそ... -
箚記
首相「うちの国が滅んでも」
炎興元年(263年)、蜀は魏に攻められて滅亡し、後主劉禅は洛陽に移り住んだ。 『洛陽伽藍記』を読んでいたとき、洛陽における劉禅の屋敷のことが出てきた。伽藍記によると、洛陽東陽門の外二里、暉文里という所に劉禅の邸宅があったらしい。そして隣... -
箚記
戸の口に宿札なのれほとゞぎす
天和期の芭蕉の句に 戸の口に宿札なのれほとゞぎす というものがある。芭蕉集を眺めていてすこし気になったので、書き留めておく。 まず冒頭の「戸の口」について。これは家の戸口を訪れての句ではない。 次に「宿札なのれ」について。まず「なのれ... -
箚記
ウェーター「鈴木でございます」
日本史の授業に早良親王という人が出てきたことがあった。 アホ中学生の私は「鰆親王ねぇ」と、半魚人が恨めしげに口をパクパクさせる様子を思い浮かべニヤニヤしていたのだが、それを見てとった教師が呆れつつ 「あのな、サワラってのはサカナの名前... -
箚記
人妻にへんなことを言ったはなし
何年も後になって「あれはちょっとまずかったな」と、何気なく発した言葉を後悔したことは数えきれない。今日またひとつ思い出したことがある。 田舎病院での研修が終わったときのこと。二年間の修行期間を共に過ごした同期はそれぞれの進路を選び、全... -
箚記
首が無いのもなかなかよいものじゃよ
電気泳動の待ち時間に『五雑組』を読んでいたら、また賈雍と会った。 賈雍至營問:「將佐有頭佳乎?無頭佳乎?」咸泣言有頭佳。答曰:「無頭亦佳。」乃死。 『五雜組』巻五 この首無し賈雍の話は『捜神記』などいくつもの書に採られているので、それら... -
箚記
腰の細いものはメスにあらず?
ふと訪れた四天王寺の池で亀を眺めていたら、スッポンがちょこちょこいるのに気がついた。 亀の池にいるカメは基本的に放生されたものらしいが、もしかするとスッポン屋から逃げ出した個体もいるのかな? などとぼんやり考えているうちふと思いついた... -
箚記
蕎麦くらい好きに食わせてくれよ
「そのものは好きだが、知らん人とは一緒に食べたくない」ものの筆頭が蕎麦である。 やれ音をたててはいけないの、逆に啜る音がいいだの、嚙むのは素人だの、薬味をつゆに混ぜてはいけないの、つゆにつけるのは少なければ少ないほど良いだの、とかくう... -
箚記
This game is Nintendo hard.
京騒戯画0話でコトがビシャマルと戦うことなったとき、伏見がこの采配を「とんだ無理ゲーですね」と評したのだが、crunchyroll (日本からアクセス不可) の英語字幕を眺めていたらこんなことを言っていた。 This game is Nintendo hard. 「無理ゲ... -
箚記
病理と野球
九州帝大病理学教室の医局日誌を眺めていたら、一時期野球ばかりしていることに気がついた。 日付対戦相手スコア1937年01年20日(病理學教室懇親野球大会)9-91937年04年21日細菌學教室敗北(13-5)1937年05年25日皮膚科勝利(10-4)1937年05年31日婦人... -
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英和辞典と三不粘と魯迅と
なにかの用で英和辞典を引いたとき、同じページにあったこの単語をふと見つけた。 thrée-stícks-nòtn. 〔中国料理〕 サンプーチャン(三不粘):中国北京の山東料理店同和居の名物料理;水とき片くり粉に卵黄と砂糖を加え,黄金色にいためあげた料理;清... -
箚記
蘇軾の「諸葛亮論」
蘇軾、蘇轍兄弟は嘉祐六年(1061年)に制科に応じた。結果は、蘇軾は第三等、蘇轍は第四等合格であった。 「制科」とは科挙で拾い上げることのできない人材を登用するための試験制度で、宋代にしばしば行われた。科挙とは異なり他薦であり、蘇軾も欧陽... -
箚記
あさねのうた
小学生のころ「たのしいこと」という題で作文を書かされたことがあった。私は嬉々として いちばんたのしいのは朝ねることです。ねながらお母さんが朝ごはんをつくってくれる音をきくのが好きです。ししゃものすこしこげたにおいや玉子焼きのあまいにおい... -
箚記
Gallantryとサムライ
Edward S. Morse (1838-1925) は大森貝塚を発掘したことで有名だが、彼の日本滞在記に Japan Day By Day という本がある。先日なんとはなしに原書をパラパラめくっていたら、モースが来日してすぐ、まだ横浜近辺にいたころの記述にこんなものがあった。 ... -
箚記
便器を口にくわえる
北畠治房というジジイがいた。 元の名は平岡鳩平。江戸末期、奈良中宮寺の寺侍の家に生まれ、やがてこの時代の血気盛んな若者にありがちだが、尊王攘夷思想に大いにかぶれた。天誅組の挙兵や天狗党の乱に加わり、維新が成ってから、南朝の功臣北畠親房... -
箚記
畢著 ―― もうひとりの沈雲英
沈雲英の生涯をたどったとき、畢著のことにすこし触れた。 畢著は薊邱の守將の娘で、父が戦死したあと間髪を入れず夜襲を決行し、敵を撃退した烈女である。 その事蹟は沈雲英となんら変わるところがない。しかし、畢著の名は明史には見えず、わずか...
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