落語「猫の皿」を聞いていると、猫の仔を貰ったときは鰹節を一本お返しにする、という慣習がかつてあったことがわかる。「猫に鰹節」とも言うし、母猫もさぞかし喜んだことであろう。鰹節に対する猫の執着ぶりについては、宝暦の頃の川柳にもこう詠まれている。
貫之は猫を追ひ/\荷をほどき
貫之はもちろん『土佐日記』の作者。彼が都に帰ってきたとき、定めし土産に鰹節をどっさり持ち帰ってきたことだろうが、それを嗅ぎつけた猫がうるさくつきまとったので大変だっただろう、という意味である。古くから土佐で鰹節が生産されていたことは、『延喜式』巻二十四に京への献納物として「土佐國(略)堅魚八百五十五斤。」との記載があることからもわかる。
私は猫を飼ったことがないので、猫が鰹節にそこまで執着するものか実際には知らないのだが、物語では大好物ということになっている。
先日ある本を読んでいたところ、こんな一節があった。
或る家の猫が、家人の不在を見て密と臺所へ行つて四邊を眺て居ますと左も旨さうな鰹節が幾本も梁から吊下がつてありますから、サテ/\旨さうなものだと涎を流して眺て居ましたが、堪なくなったと見えて、人の居ぬを幸に幾度か飛付いて其の鰹節を盗まうとしましたが如何しても届きませんで果ては自分の身體が勞れて來ましたから、大に立腹して遂、悔しまぎれに、『何んだ斯んな鰹節は欲しくは無いや、プン/\腐敗る臭氣がするワイ
なんか聞いた話だな、と思っていたらこれは完全に「すっぱい葡萄」である。
そしてたしかにこの本はイソップ物語の翻訳書なのである。狐と葡萄を勝手に猫と鰹節に置き換えているのに驚いたが、宮崎市定先生の言うように「もし翻訳というものが、ある国の真実を他国の人民に理解させることが最上の使命であるとする観点に立つならば」、当時の人に馴染みの薄いであろう葡萄を鰹節にしたのも、まあまあ許容範囲内なのかもしれない……と思わなくもない。が、同時代に出版されたイソップ物語の翻訳書でこんな珍妙な改変をしているのはこの本くらいである。
しかしてさらにこの本がさらにヘンテコリンなのは、イソップ物語のはずなのに石田三成や二宮尊徳が出てくるのである。なかば呆れて前書を見ると、訳者はこんなことを言っている。
巻末に、吾邦名士の逸話を附したり、別に意あるにあらず、但だ 一杯の名茶に添ゆる粗菓の類のみ。
たしかに書名を見返すと『新譯解説 伊蘇普物語 附日本名士逸話』となっている。わけわからん本である。
この本の訳者、中村徳助についてわかることは多くない。生年不明だが、1902年に帝國大學文科大學に入学しているようである。 没年は不明。号は素山、素人生、また福々山人。肩書は文學士で通している。
スマイルズ『自助論』の翻訳をしているが、中村正直の変名ないし関係者というわけではなさそうである。また、下に假作成した年譜を見ると、大正期に十年近くの空白期間がある。著書を読む限り、十年かけて一冊を書きあげるタイプとも到底思えぬし、他に定職があったという情報もない。別の名を使っていた可能性があるが、わからない。
現時点で判明している部分について載せるので、待考としたい。
1902年(明治35年)
不明 学習院輔仁会雑誌に「張君挽詞」掲載。
不明 帝國文學會に入會。当時の住所は四谷區船町二十七番地。
1906年以前
不明 『物勢物語の研究』
※ 學士論文
1906年(明治39年)
7月 帝國大學文科大學、國文學科を卒業。
※ 『東京帝國大學一覧』による。
1909年(明治42年)
02月 『新譯解説 伊蘇普物語 附日本名士逸話』精華堂
09月 『立志修身 二宮翁道話』明教堂
09月 『立志勤倹 二宮尊徳翁』由盛閣
09月 『新譯 アラビヤンナイト』(村田祐治との共訳)精華堂
※ この書のみ肩書が東京航海學校講師
11月 『元勲伊藤博文公 附・追悼歌』精華堂
不明 『孫子新譯』(砲兵太尉 植村東彦との共著)菊地屋書店
※ 校閲:陸軍少将 松石安治
1910年(明治43年)
03月 『一休和尚 : 南船北馬』盛陽堂
06月 『東西名士の修養』菊地屋書店
12月 『世界新お伽』盛林堂
※ 序文は上田萬年が書いている。
1911年(明治44年)
02月 『日本歷史画談』水野書店
03月 『山陽詩鈔新譯』日進堂書店
※ 題字:宮内大臣渡邊(千秋)子爵
※ 校閲:東京帝國大學文科大學助教授 岡田正之
※ ポケット版では大町桂月が序文。坂井松梁との共著
05月 『最近五十年史』聚榮堂大川書店
※ 序文:瀬川秀雄
11月 『選譯スケッチブック』国華堂
※ ワシントン・アーヴヰング著、插畫は戸田天波
1912年(明治45年、大正元年)
10月 『スマイルス自助論』(小山内薫との共訳)日進堂書店
不明 『リットル通俗論語』明教書院
大正元年前後
山本条太郎の伝記によれば、この頃から中村素山の名で鎌倉市長谷に住んでいたらしい。以後中村徳助ないし中村素山の名を使っている。
1922年(大正11年)
02月 『通俗講話 立正安國論 日蓮上人の大奮鬪』心友社
08月 『速成上達 細字の書き方』 心友社
※ 書は佐藤梅園
1923年(大正12年)
不明 『人間の臭ひ』(山部連との共著)耕文堂
1924年(大正13年)
06月 『頓智一休和尚』盛陽堂
※ はしがきに福々山人とある。
1934年(昭和9年)
不明 『最新青年手紙 : ペン字毛筆入』泰光堂書店
不明 『野みち山路 : 句集』獺祭発行所 ※ 装丁
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