Teramoto Yuki– Author –

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焼肉定食一千円
静岡の真ん中へんに住んでいたころ、講習会やらでしばしば静岡市に出かけることがあった。静岡市に出るには各停に三十分ほど揺られる必要があるのだが、その途中に「六合」という駅があった。 初めてこの駅名を見たとき、「あっ、これはどう読ませるつ... -
酒を呑んでひっくりかえる
俗に「世の中に寝る程楽は無かりけり」と言うけれども、なかでも酒を呑んでいい気分のまま横になるのは格別である。 世に同志は多いとみえて、唐の詩人に曰く―― 秋醪雨中熟 秋醪しうす 秋じこみの濁酒が雨降りの中で熟れ、 私の侘しい住処... -
火童子は何人いる?
今川氏輝は大永五年(1525年)元服した。のちの今川家第十代当主である。 当時今川家に逗留していた連歌師の宗長は、この時のことをこう書き記している。 十一月廿日、龍王殿元服ありて、五郎氏輝おのおの祝言馳走例年にもこえ侍ると也。同廿五日、かの... -
黒すぐり!よりによって、こんなものを!
中学生くらいになると色気づいて父親の本棚を漁ったりするものである。 ある日、なんぞ助平な本でもないかと父の本棚の背表紙を眺めていたら、ハヤカワ文庫の『スペイン要塞を撃滅せよ』というおもしろそうな本があった。 さっそく拝借して読んだと... -
スピロノラクトン体は消えゆくのだろうか
教科書的には有名なのに「最近見かけないな」と思うのがスピロノラクトン体 (spironolactone body) である。 スピロノラクトン体とは、スピロノラクトン投与患者の副腎皮質球状層やアルドステロン産生腺腫の腫瘍細胞に認められる細胞質内封入体である... -
えびの金ぷら
京都の町を同僚と歩いていたとき、向こうから優雅な和装の女性がやってきたので、 「あ、舞妓さんがおる」 と言ったところ、 「あれは藝妓さんやで」 と訂正されたことがあった。彼はいろいろ形態学的鑑別点を教えてくれたのだが、残念ながら「へーよう... -
春王丸・安王丸の最期
COVID-19 による休校令が出た時、子供の無聊を慰めるためいろいろな出版社が自社書籍の無料公開を行った。いい歳した私もその余恵に預かったのだが、小学館が『学習まんが少年少女日本の歴史』をオンラインで公開していると聞いたとき、小学生当時ひどく... -
ドラえもんの「ようろうおつまみ」考
子供のころ欲しかったドラえもんのひみつ道具に「ようろうおつまみ」がある。 藤子・F・不二雄『ドラえもん 第10巻』てんとう虫コミックス、小学館 もちろん幼稚園児に酒の味なぞ分かるはずもないので、私の頭の中では、キリンレモンのようなジュース... -
荀灌
西晋の頃、荀彧の玄孫(孫の孫)に荀崧という人がいた。彼はあるとき杜曾という流賊によって城を囲まれてしまい、絶体絶命の危機に陥った。自身は病に倒れ、食糧は底をつき、援軍のあてもなかった。あわや落城かと思われたとき、一人の少女が進み出て言... -
梅干と番茶 ―― 二日酔いあれこれ
研修医時代、梅干のビンと番茶のカンカンをいつも机に置いていた。なんのためかと言うと、二日酔い対策である。 研修医は数ヶ月ごとに部署をうつるため、そのたびに軽い歓迎会やら送別会がある。また、なにせストレスの多い職業であるから、気晴らしに... -
汗くさいオムレツ
イギリスの宣教師、登山家のウェストン (Weston, Walter. 1861-1940) による The Playground of the Far East という本を読んでいて、くだらなさに大笑いした箇所があった。 Excellent quarters welcomed one at an old haunt, the Yonekura Inn, and fr... -
女性と破瓜
長年妙な思い違いをしていたことに気がついた。 秦淮の妓女に宋惠湘という人がいた。明の滅亡による混乱のさなか、兵火に追われ彷徨ううち、軍に捕らえられた。最期の時、彼女が流れる血で壁に書きつけた絶句の一部にこうある。 盈盈十五破瓜初 ... -
本から車が飛び出てくるぞ!
初めて自分のこづかいで買った本のことはよく覚えている。 場所は梅田の旭屋書店、エスカレーターを降りてすぐ右手の文庫本コーナーで、買った本は遠藤周作の『ぐうたら生活入門』である。 帰る段になり、階段で買った本を父に見せると、父はすこし... -
おのづからうちおく文も月日へて
亡くなった祖父の書架を整理していたとき、紙魚を見たことがあった。あれはたしかアンドレ・モーロワの『英國史』で、今は珍しいフランス装の本だった。 紅箋白紙兩三束 紅箋白紙兩三束 半是君詩半是書 半は是れ君が詩、半は是れ書 經年不展... -
日坂のわらび餅のゆくえ
最近とんと聞かなくなったが、夏の昼どきになると、 わらびーもちー わぁらぁあびぃいいもちぃいい つめたくてぇー おいしいよっ! と流しながら街をぐるぐる回る軽トラックがいたものである。 それを聞くたび、子供心に「わらび餅は... -
二宮尊徳のランチョンセミナー
医学部は六年制だが六年間みっちり授業が詰まっているわけではなく、四回生くらいで講義の方はだいたい済むカリキュラムになっている。残りは病院実習である。内科・外科・救急などなど、それぞれの診療科を数週間単位で巡るのである。 病院実習は大学... -
ナイフは左か右か
むかし勤めていた病院では職員互助会主催の「テーブルマナー講習会」というものがあった。職種に関係なく、部署ごとに希望者を募って外部の料理店で行われる講習会である。 病理でも技師さんがやって来て「先生も行きますか?」ときかれたので、「なん... -
鏡張りのトイレと大阪弁
学会で東京に行ったとき、ひとりでふらっと居酒屋に入ったことがあった。すでに皆としたたか呑んだ後だったので、酒とつまみを注文してさっさとトイレに立ったのだが、そこで驚いた。トイレが天地四方すべて鏡張りだったからである。 ああこれが狐狸庵... -
虎のきんたま
北サハラのある部族では、貴人の目の前で生きた牛から睾丸を抜き、その睾丸をそのまま食卓に上らせるのが最上級の敬意の示し方である、というのを以前誰かから聞いたことがあった。 へぇと思いつつ、もし、ちゃんと調理するとしたらどうすればいいかな... -
最も畏るべき者は人に若くはなし
あるところに仇を避けて深山に身を隠している男がいた。白い月が昇り、清らかな風が吹くある夜のこと。男がふと見やると、白楊の下に幽霊がいた。男が地に伏せて身を隠すと、幽霊は彼の方に振り向いて言った。 「そんなところに隠れていないで出てきたら... -
茶碗蒸しの科学
アメリカにいたころ、アジアンマーケットの食器コーナーでちょっと珍しいものを見つけたことがあった。なにかというと、フタのついた大きめの湯吞みである。 あっ、と手を伸ばしカゴに入れたのだが、そのココロは「これで茶碗蒸しをつくろう!」という... -
おにいちゃんもうがまんできないわたしをおんなにして
No Game No Life: Zero で Riku とSchvi が出会ったとき、Schvi が棒読みで「おにいちゃんもうがまんできないわたしをおんなにして」と言うのだが、その場面の字幕にこうあった。 I can't resist you, Big Brother. Make a woman out of me. Make A (o... -
中国初の女帝(自称)陳碩真
中国の女帝というと周の武則天が有名かつ唯一だが*、彼女が帝位に就く四十年ほど前、今の浙江省杭州市のあたりに、自ら皇帝を称した一人の女性がいたことはあまり知られていない。彼女の名は陳碩真と言う。唐高宗の永徽四年(653年)、彼女は睦州で朝廷... -
スイカ糖
料理の製法を読むのは楽しいものである。 食譜を眺めつつ、どんな料理か空想するのはよい暇つぶしになるし、随想や回顧録にふと触れられた料理であれば、その調理のさまを想像してもよい。 明末の文士・冒襄は、亡き側室の小宛がよく作ってくれた献... -
「画縁胎盤」は「がくぶちたいばん」ではない
駆け出しのころ 「『画縁胎盤』は『がくぶちたいばん』と読むんだ」 と教えられたことがあった。 「字が違うようですが」 「それはな」当時の指導医はふん』が生まれたというわけだ。知らなかっただろう?」 彼はふんぞり返った。 当時の私は「まあそ... -
首相「うちの国が滅んでも」
炎興元年(263年)、蜀は魏に攻められて滅亡し、後主劉禅は洛陽に移り住んだ。 『洛陽伽藍記』を読んでいたとき、洛陽における劉禅の屋敷のことが出てきた。伽藍記によると、洛陽東陽門の外二里、暉文里という所に劉禅の邸宅があったらしい。そして隣... -
戸の口に宿札なのれほとゞぎす
天和期の芭蕉の句に 戸の口に宿札なのれほとゞぎす というものがある。芭蕉集を眺めていてすこし気になったので、書き留めておく。 まず冒頭の「戸の口」について。これは家の戸口を訪れての句ではない。 次に「宿札なのれ」について。まず「なのれ... -
ウェーター「鈴木でございます」
日本史の授業に早良親王という人が出てきたことがあった。 アホ中学生の私は「鰆親王ねぇ」と、半魚人が恨めしげに口をパクパクさせる様子を思い浮かべニヤニヤしていたのだが、それを見てとった教師が呆れつつ 「あのな、サワラってのはサカナの名前... -
人妻にへんなことを言ったはなし
何年も後になって「あれはちょっとまずかったな」と、何気なく発した言葉を後悔したことは数えきれない。今日またひとつ思い出したことがある。 田舎病院での研修が終わったときのこと。二年間の修行期間を共に過ごした同期はそれぞれの進路を選び、全... -
首が無いのもなかなかよいものじゃよ
電気泳動の待ち時間に『五雑組』を読んでいたら、また賈雍と会った。 賈雍至營問:「將佐有頭佳乎?無頭佳乎?」咸泣言有頭佳。答曰:「無頭亦佳。」乃死。 『五雜組』巻五 この首無し賈雍の話は『捜神記』などいくつもの書に採られているので、それら...
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