あなたの番がまわってきたのは

 斉の景公は、都の南郊にある牛山に登った時、北のかたに都の街なみを見おろして、涙ながらにこう言った。

「なんと美しい国だろうか。樹木は青々と茂っているというのに、どうして移ろいゆくまま、この国を後にして死ななければならないのだろう。もしこの世にはじめから死という定めがなければ、わたしもここを離れどこにも行かなくて済むというのに」

 従者の史孔や梁丘拠らはそれを聞き、もらい泣きしながら言った。

「わたくしどもは、殿のお恵みのおかげで生きておりますが、たとえ野菜屑や腐りかけの肉しかなく、駄馬やぼろ車にしか乗れないとしても、決して死にたいとは思いません。まして殿のこととなれば、なおさらのことでございましょう」

 ところが晏嬰だけは、そばでそれを聞きながら笑っているので、景公は涙をぬぐいながら晏嬰をぐっと見すえこうなじった。

「わたしは今日この山に遊んで悲しい気持になった。そして史孔も梁丘拠もみなわたしと一緒に泣いてくれているのに、そなただけがひとり笑っているのは、いったいどういうわけだ」

 すると晏嬰はこう答えた。

「もし、賢い王がいつまでも国を治めることができるならば、この国を開いた太公望や、覇者となった桓公が永久に斉の国を統治しつづけておられましょう。
 もし、勇敢な王がいつまでも位にあることができるならば、荘公や霊公がきっとそれをなさっていたでしょう。
 もし、賢者や勇者がいつまでも斉の王ならば、あなたなどは蓑笠をつけて田畑に立ち、ただ百姓仕事に心を費やすだけで、『死にたくない』なぞと考える暇はありますまい。まして、あなたが王位につかれることなど、ありえないことです。
 かわるがわる位につき、かわるがわる位を離れるからこそ、あなたの番が回ってきたのです。それなのにあなただけが『死にたくない』といって涙を流すのは、自分勝手というものです。
 わたくしは、自分勝手な殿さまと、それにこびへつらう臣下と、この二つのものを見ました。この恥ずべきものを前にすれば、笑うほかにしかたがないではありませんか」

 晏嬰の言葉を聞いた景公はすっかり恥じ入り、罰杯をあげて己を責めるとともに、二人の家来を責めて、それぞれ二杯の罰杯を飲ませた。

――『列子』力命篇


 『列子』を読んだのは、たしか二十前後のことだったはずである。当時は景公をやりこめた晏子の言葉を痛快に思ったものだが、四十の声を聞くようになると、晏嬰の言はどこか一面的なもののように思えてならない。

 牛山の山頂での楽しい宴会の最中、なぜ景公は悲しみに襲われたのだろうか。

 景公が挙げているのは、現世の豊かな生活を失うことに対する懼れである。従者二人の「私たちのように貧しい暮しをしていても、生に執着するというのに」という言葉もまた、それを裏付けている。とすれば、「人間にとって死は必然であり、前人が去ったからこそ、今あなたの楽しみがあるのです」と諭した晏嬰の言葉は、この文脈において正当な指摘である。

 しかし、晏子は「あなたは賢者でも勇者でもなく、その位にあるべき人間ではないのに、偶然得た地位にしがみつこうとは嗤わせる」と口を極めて景公を嘲弄し、従者もそれに巻きこまれている。あまりに嗜虐的であり、景公が感情的に反発することなく折伏されたことがむしろ不自然に思われる。

 この『列子』の挿話は、『晏子春秋』および『春秋左氏傳』に原型となった話がいくつか存在する(下掲)。それらを読んで私が感じたのは、描写が詳細になるとともに、この問題が景公個人の問題に矮小化され、悲しみの原因も、物質的な所有の喪失に限定されるようになってはいないか? ということである。ここで重要な働きをしているのが、二人の従者の登場である。彼らは主君の悲哀を「快楽の放棄」によるものと解釈し、それを讀者に提示する。そして晏嬰の返答によってその解釈が固定化され、この説話が完成しているのである。


 歓楽極まったとき哀情生ずるのは、別に景公だけではない。漢の高祖は、天下を統一し沛に立ち寄った際、酒宴のなか自ら作詞した「大風歌」を歌いながら幾筋もの涙を流している

高祖還歸,過沛,留。置酒沛宮,悉召故人父老子弟縱酒,發沛中兒得百二十人,教之歌。酒酣,高祖擊筑,自為歌詩曰:「大風起兮雲飛揚,威加海內兮歸故鄉,安得猛士兮守四方!」令兒皆和習之。高祖乃起舞,慷慨傷懷,泣數行下。

『史記』高祖本紀

高祖は(英布の叛亂を平定した)帰途、沛に立ち寄った。沛の宮殿で酒宴を開き、旧知の人を老いも若きも呼び寄せて酒をふるまった。そして百二十人の若者を選び、歌を教えた。酒が回ると、高祖は筑をうち、自ら歌詞を作って歌った。

 大風起兮雲飛揚   大風起こりて雲飛揚ひよう
 威加海內兮歸故鄉  威は海内かいだいに加わりて故郷に帰る
 安得猛士兮守四方  いずくんぞ猛士を得て四方を守らしめん

若者らにこれを合唱させ、立ち上がって舞ううち、高祖は胸が高ぶり心痛んで涙が幾筋か落ちた。

 同じ君主と言っても、高祖の涙は景公のものとはだいぶん違うようである。

 曹子建もまた華やかな酒宴の中、我が身のままならぬことを思ってか「箜篌くご引」を詠んでいる。

置酒髙殿上  酒を置く髙殿の上
親友從我遊  親友 我に從いて遊ぶ
中廚辦豐膳  中廚 豐膳をととの
烹羊宰肥牛  羊を 肥牛をさい

秦箏何慷慨  秦そう何ぞ慷慨なる
齊瑟和且柔  齊しつ和にして且つ柔なり
陽阿奏奇舞  陽阿 奇舞を奏し
京洛出名謳  京洛 名おうだす

樂飲過三爵  飲を樂みて三爵を過し
緩帶傾庶羞  帶を緩めて庶羞を傾く
主稱千金壽  主は稱す 千金の壽
賓奉萬年酬  賓は奉ず 萬年の酬

御殿に酒宴を張り、親友を招き共に楽しむ。
宮中の厨房はたくさんの料理を揃え、
羊を煮たり大きな牛をさばいたりと賑やかである。
秦の箏は何とはげしい音がすることだろう。
一方で齊の瑟はなごやかに柔らかなを奏でている。
陽阿の踊り子は妙なる舞を奏し、洛陽の歌い手は見事な歌を歌う。
楽しみ飲んで大杯三献を空にして、
帯を緩めて数々の料理を平らげる。
主人は「千金の長壽あれかし」と杯を献じ、
賓客は「萬年の繁栄あらんことを」と返杯を奉る。

久要不可忘  久要は忘る可からず
薄終義所尤  薄終は義のとがむる所
謙謙君子德  謙謙たるは君子の德
磬折欲何求  磬折して何をか求めんと欲す

驚風飄白日  驚風 白日をひるがえし
光景馳西流  光景 馳せて西に流る
盛時不可再  盛時 再びすべからず
百年忽我遒  百年 忽ち我にせま

生在華屋處  生在しては華屋に處り
零落歸山丘  零落しては山丘に
先民誰不死  先民 誰か死せざる
知命復何憂  命を知らば た何をか憂えん

古くからのつきあいを忘れてはならぬし、
昔からの友人と疎遠になれば不義理と誹られるだろう。
そうやってあちこちに気をつかうのは君子の美徳だろうが、
そんなにぺこぺこ頭を下げて何を求めようというのか。
疾風は白く輝く陽を吹き飛ばし、
日の光はあっという間に西に沈んでゆく。
人生の良い時は二度と戻らず、
年月はたちまち経って我が身に迫る。
生きているうちは豪華な家に住んでいても、
死ねば山丘の墓に帰るのだ。
昔の人で死ななかった者がいただろうか。
天命を知っておれば、これ以上何も憂えることなどない。

 山の頂から広きを臨めば、千古変わらぬ光景を古人も眺めたことに思いを馳せるであろうし、青々と茂る木々を見渡せば、四季の移ろいと人同じからぬことを思うのが君子ではないだろうか。ただ景公だけが、現世の欲望を思って悲しむというのは、説話の目的上しかたないとは言え、私には不自然に思える。
――これは私の勝手な投影であり、公平に見れば晏嬰の言が正しいことは言うまでもない。ただ、もしかすると、景公も「それだけじゃないんだけどなぁ」という思いと共に罰杯をあおったのかもしれない、と、ふと思ったのだった。

 


 

飲酒樂,公曰,古而無死,其樂若何,晏子對曰,古而無死,則古之樂也,君何得焉,昔爽鳩氏始居此地,季萴因之,有逢伯陵因之,蒲姑氏因之,而後大公因之,古者無死,爽鳩氏之樂,非君所願也。
『春秋左氏傳』昭公二十年

景公游于牛山,北臨其國城而流涕曰:「若何滂滂去此而死乎?」艾孔、梁丘據皆從而泣,晏子獨笑於旁,公刷涕而顧晏子曰:「寡人今日之游悲,孔與據皆從寡人而涕泣,子之獨笑,何也?」晏子對曰:「使賢者常守之,則太公、桓公將常守之矣;使勇者常守之,則靈公、莊公將常守之矣。數君者將守之,則吾君安得此位而立焉?以其迭處之,迭去之,至於君也,而獨為之流涕,是不仁也。不仁之君見一,諂諛之臣見二,此臣之所以獨竊笑也。」
『晏子春秋』卷一 內篇 景公登牛山悲去國而死晏子諫 第十七

景公出遊於公阜,北面望睹齊國曰:「嗚呼!使古而無死,何如?」晏子曰:「昔者上帝以人之死為善,仁者息焉,不仁者伏焉。若使古而無死,大公、丁公將有齊國,桓、襄、文、武將皆相之,君將戴笠衣褐,執銚耨,以蹲行畎畝之中,孰暇患死?」公忿然作色,不說。無幾何,而梁丘據禦六馬而來,公曰:「是誰也?」晏子曰:「據也。」公曰:「何以知之?」曰:「大暑而疾馳,甚者馬死,薄者馬傷,非據孰敢為之?」公曰:「據與我和者夫?」晏子曰:「此所謂同也。所謂和者,君甘則臣酸,君淡則臣鹹。今據也,君甘亦甘,所謂同也,安得為和?」公忿然作色,不說。無幾何,日暮,公西面望睹彗星,召伯常騫,使禳去之。晏子曰:「不可,此天教也。日月之氣,風雨不時,彗星之出,天為民之亂見之,故詔之妖祥,以戒不敬。今君若設文而受諫,謁聖賢人,雖不去彗,星將自亡。今君嗜酒而並于樂,政不飾而寬於小人,近讒好優,惡文而疏聖賢人,何暇去彗?茀又將見矣。」公忿然作色,不說,及晏子卒,公出屏而立曰:「嗚呼!昔者從夫子而游公阜,夫子一日而三責我,今誰責寡人哉?」
『晏子春秋』卷一 內篇 景公遊公阜一日有三過言晏子諫 第十八

景公置酒于泰山之上,酒酣,公四望其地,喟然歎,泣數行而下,曰:「寡人將去此堂堂國而死乎?」左右佐哀而泣者三人,曰:「臣細人也,猶將難死,而況公乎!棄是國也而死其孰可為乎?」晏子獨搏其髀,仰天而大笑曰:「樂哉!今日之飲也。」公怫然怒曰:「寡人有哀,子獨大笑,何也?」晏子對曰:「今日見怯君一,諛臣三,是以大笑。」公曰:「何謂諛怯也?」晏子曰:「夫古之有死也,令後世賢者得之以息,不肖者得之以伏。若使古之王者如毋有死,自昔先君太公至今尚在,而君亦安得此國而哀之?夫盛之有衰,生之有死,天之分也。物有必至,事有常然,古之道也,曷為可悲?至老尚哀死者,怯也;左右助哀者,諛也。怯諛聚居,是故笑之。」公慚而更辭曰:「我非為去國而死哀也。寡人聞之,彗墾出其所向之國,君當之。今彗墾出而向吾國,我是以悲也。」晏子曰:「君之行義回邪,無德于國。穿池沼,則欲其深以廣也;為台榭,則欲其高且大也。賦斂如捴奪,誅僇如仇讎。自是觀之,茀又將出。彗星之出,庸可懼乎?」於是公懼。乃歸,填池沼,廢台榭,薄賦斂,緩刑罰,三十七日而彗星亡。
『晏子春秋』卷七 外篇 景公置酒泰山四望而泣晏子諫 第二

景公飲酒,樂。公曰:「古而無死,其樂若何?」晏子對曰:「古而無死,則古之樂也,君何得焉?昔爽鳩氏始居此地,季萴因之,有逢伯陵因之,蒲姑氏因之,而後太公因之。古若無死,爽鳩氏之樂,非君所願也。」
『晏子春秋』卷七 外篇 景公問古而無死其樂若何晏子諫 第四

齊景公游於牛山,北臨其國城而流涕曰:「美哉國乎!鬱鬱芊芊,若何滴滴去此國而死乎?使古無死者,寡人將去斯而之何?」史孔梁丘據皆從而泣曰:「臣賴君之賜,疏食惡肉可得而食,駑馬稜車可得而乘也;且猶不欲死,而況吾君乎?」晏子獨笑於旁。公雪涕而顧晏子曰:「寡人今日之游悲,孔與據皆從寡人而泣,子之獨笑,何也?」晏子對曰:「使賢者常守之,則太公桓公將常守之矣;使有勇者而常守之,則莊公靈公將常守之矣。數君者將守之,吾君方將被蓑笠而立乎畎畝之中,唯事之恤,行假念死乎?則吾君又安得此位而立焉?以其迭處之迭去之,至於君也,而獨為之流涕,是不仁也。見不仁之君,見諂諛之臣。臣見此二者,臣之所為獨竊笑也。」景公慚焉,舉觴自罰。罰二臣者各二觴焉。
『列子』卷第六 力命篇

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