『妬記』は南朝宋の虞通之の手による書物で、晋代における女性の嫉妬の逸話を集めたものである。この本が編まれた経緯については、『宋書』后妃傳に、降嫁した公主がみな嫉妬深かったので太宗(劉彧)が憂えて近臣の虞通之に『妬婦記』を編纂させたとある。虞通之は會稽郡餘姚の人で、易に明るく歩兵校尉に至ったとしかわからない(『南史』)。
『妬記』は『隋書』や『新唐書』に二巻とあるが、宋代には散逸してしまったらしく、現在は魯迅が『古小説鈎沈』の中にまとめた七条が現存するのみである。私はたまたま「羊になった夫」(これらの題は私が假につけたものである)を読んでおもしろく思い、また七条と短いので、ここに全訳しようと思い立ったわけである。訳にあたっては、中島長文・校、伊藤令子・補正「魯迅『古小説鈎沈』校本」を底本とした。
桓温の妻
桓大司馬平蜀,以李勢女爲妾。桓妻南郡主兇妬,不卽知之。後知,乃抜刀率數十婢往李所,因欲斫之。見李在窗前梳頭,髪垂委地,姿貌絶麗。乃徐下地結髪,斂手向主曰:「國破家亡,無心以至今日,若能見殺,實猶生之年。」神色閑正,辭氣凄袁惋。主乃擲刀,前抱之曰:「阿姉見汝,不能不憐。何況老奴。」遂善遇之。
大司馬の桓温が蜀を平定したとき、滅ぼされた成漢の皇帝・李勢の娘*を妾に納れた。桓温の妻、南康公主は非常に嫉妬深かったが、はじめそのことを知らなかった。後になって知り、白刃を抜き数十人の侍女とともに居所に押しかけ、彼女を斬り殺そうとした。李氏は窓の前で髪を梳すいていたが、髪は床にまで垂れるほど長く、その姿は類いなく美しかった。ゆっくりと髪を結び終わると、李氏は手を止めて公主に向きなおり、こう言った。
「わたしの國は破れ、家は滅び、以来抜け殻のように今日まで日日を過ごしてきました。もしここであなたに殺されても、生きていてもなにも変わりません」
李氏の表情は静かでいささかも崩れず、その言葉にはえも言われぬ哀しさが満ちていた。公主は刀を投げ捨て、李氏を抱きしめて言った。
「妻の私ですらあなたが愛おしくてならないわ。あの老いぼれ亭主ならなおさらのことでしょうよ」
それから彼女を厚くもてなすようになった。
『世説新語』は李勢の妹(つまり李寿の娘)とする。
王導の妻
王丞相曹夫人,性甚忌,禁制丞相不得有侍御。乃至左右小人,亦被檢簡。時有妍妙,皆加誚責。王公不能久堪,乃密營別館,衆妾羅列,兒女成行。後元會日,夫人於青疏臺中望見兩三兒騎羊,皆端正可念。婦人遙見,甚憐愛之。語婢云:「汝出問此是誰家兒。奇可念。」給使不達旨,乃答云:「是第四五等諸郎。」曹氏聞驚愕大恚,不能自忍,乃命車駕,將黃門及婢二十人,人持食刀,自出尋討。王公亦遽命駕,飛轡出門。猶患牛遲,乃左手攀車闌,右手捉麈尾,以柄助御者打牛,狼狽奔馳,方得先至。蔡司徒聞而笑之。乃故詣王公,謂曰:「朝廷欲加公九錫,公知不。」王謂信然,自敍謙志。蔡曰:「不聞餘物,唯聞有短轅犢車長柄麈尾爾。」王大愧。後貶蔡曰:「吾昔與安期千里共在洛水集處,不聞天下有蔡允兒。」正忿蔡前戲言耳。
王丞相(王導)の妻の曹夫人は非常に嫉妬心が強く、夫に妾を持つことを禁じていた。家の召使いですらいちいち調べ、若くて美しい女がいると責め咎めた。王導は耐えられなくなり、密かに別の屋敷を設けて妾を囲い、やがて子供が生まれた。
元會の帰り、夫人が宮殿の門楼から遠くを眺めていると、羊に乗って遊ぶ二三人の男の子を見かけた。いずれもきちんとした身なりで可愛らしい姿をしていた。曹夫人は遙かに眺めながら非常に愛おしく思い、側の下女に尋ねた。
「おまえはあの子たちがどこの子か知らないかい? とてもかわいいね」
すると、下女は馬鹿正直に
「あれは四番目と五番目のお坊ちゃまです」
と答えたので、夫人は驚愕して怒り狂った。怒りおさまらず、車を出すよう命じ、下男下女二十人ばかりに庖丁を持たせ、夫人自ら糾明に向かおうとした。(そのことを知った)王導もまた急いで車を出すよう命じ、手綱を取らせて門を出た。しかし牛の歩みがのろいことを気にして、左手で車の手すりにつかまりながら(身を乗り出し)、右手に持った麈尾で御者とともに牛を打った。狼狽しつつ奔走し、なんとか王導の方が先に(妾や子供のいる別邸に)着くことができた。
司徒の蔡謨はこの話を聞きつけて笑い、王導を訪ねてこう言った。
「なんでも朝廷があなたに九錫を授けるそうですよ。ご存じですか?」
それを信じた王導が「いやいや私のような者にもったいない」と謙遜したところ、蔡謨は 「他の物は知りませんが、九錫と言っても、ただ短い轅の牛車と長い柄の塵尾だけだそうで」 と言ったので、(当てこすりと気づいた)王導は大いに恥じ入った。
後日、王導は蔡謨のことを貶してこう言った。 「私がむかし安期(王承の字)や千里(阮瞻の字)と洛水にいたときには、蔡克(蔡謨の父)に息子がいるなんて聞いたことがなかったが」これは蔡謨が以前言った戯言を根に持っていたからである。
「四番目と五番目のお坊ちゃま」は誰か。『晋書』王導傳に、「導六子:悅、恬、洽、協、邵、薈。」と書かれているから、王協と王邵のことであろう。王協は早く亡くなった。王邵は吏部尚書、尚書僕射,領中領軍に至った。なお、『世説新語』惑溺によれば、王導には雷氏という妾もおり、第二、三子の王恬と王洽を生んだとされる。王導は彼女に政治のことを相談し、彼女は彼女でワイロを受取っていたので、蔡謨(またお前か)が「雷尚書」と呼んで揶揄ったとされる。なお本文中「郎」とは召使いが主人を呼ぶ称。
元會とは元旦に皇帝が群臣を集めて行う祝賀儀式のこと。『晋書』禮志下に記載がある。始めたのは曹操(魏武帝)で、当時正會と言った。
青疏は青瑣とも。漢の時代に、門の扉に鎖の紋様を透かし彫りにし、青く塗ったことから。転じて宮殿の門を指す。
「麈尾」とは要するに払子である。細長い木の両脇と先に毛をはさんだ仏具。もちろん牛を叩くためのものではない。王導大慌ての様子が目に見えるようである。
「九錫」とは、大きな功績があった臣下に賜る九つの品のこと。すなわち、車馬、衣服、楽器、朱戸、納陛、虎賁、弓矢、鈇鉞、秬鬯を指す。言うまでもないが牛車や塵尾は含まれない。
最後の王導の言葉はそのままだとやや不通かもしれない。『世說新語』企羡に、王導が在りし日を懐かしんで、「むかし洛水のほとりにいたときは、裴頠や阮瞻といった賢者たちと一緒に清談に励んだものだったなぁ」と言った、という挿話がある。蔡克も清談に加わった一人だたのだろう。まあ要するに「蔡克のような賢者に、あんな、他人の家の醜聞を聞きつけて当てこすりを言いに來るような無粋な息子がいるとはね」と言っているのである。
謝安の妻
謝太傅劉夫人,不令公有別房寵。公既深好聲樂,不能令節,復遂頗欲立妓妾。兄子及外生等微達此旨,共問訊劉夫人。因方便稱「關雎」「螽斯」有不忌之德。夫人知以諷己,乃問:「誰撰此詩。」答云:「周公。」夫人曰:「周公是男子,乃相爲爾。若使周姥撰詩,當無此語也。」
謝太傅(謝安)の妻、劉夫人は、夫が妾を置くことを許さなかった。謝安は歌舞音曲が好きだったので、歌妓を妾に置きたいとつねづね思っていた。兄の子や妻の兄弟らがその意を受けて、
「關雎や螽斯のような詩に、嫉妬しないことを婦徳とする、とありますよね」
と諷したところ、劉夫人はこう尋ねた。
「その詩は誰が選んだのですか」
「周公さまですよ」
「周公は男ですよね。もし周公の奥さんが選んだら、そんな詩は採らなかったでしょうよ」
ははは違いない。「關雎」も「螽斯」もともに『詩経』の詩である。「關雎」は毛傳に「后妃之德也」、「螽斯」も毛傳に「后妃子孫衆多也。言若螽斯,不妬忌,則子孫衆多也。」とある。
阮修の妻
武歴陽女嫁阮宣子,無道妬忌,禁婢甌覆槃蓋,不得相合。家有一株桃樹,華葉妁耀,宣歎美之,卽便大怒,使婢取刀斫樹,摧折其華。
武歴陽(不詳)の娘は阮修(字は宣子)に嫁いだが、ひどい悋気病みで、夫の側仕えとして下女を置くことを禁じるのはもちろん、器と蓋がしっくり合うことすら我慢できないありさまだった。家には一本の桃の木があり、花と葉がともに美しかったのを阮修が褒め称えたところ、彼女はいきなり怒りだし、下女に刀で木を切り倒させ、その花を踏みにじった。
士人の妻
京邑有士人婦,大妬忌於夫。小則罵詈,大必捶打。常以町繩繋夫脚,且喚便牽索。士人密與巫嫗爲計。因婦眠,士人入厠,以繩繋羊,士人縁牆走避。婦覺牽繩而羊,大驚怪,召問巫,巫曰:「娘積惡,先人怪責,故郎君變成羊。若能改悔,乃可祈請。」婦因悲號,抱羊慟哭,自咎悔誓。師嫗乃令七日齋,舉家大小悉避於室中,祭鬼神。師祝羊還復本形。壻徐徐還,婦見壻啼問曰:「多日作羊,不乃辛苦耶。」壻曰:「猶憶噉草不美,腹中痛爾。」婦愈悲哀。後復妬忌,壻因伏地作羊鳴。婦驚起,徒跣呼先人爲誓,不復敢爾。於此不復妬忌。
都に、士人の妻で、ひどい焼餅やきの女がいた。機嫌の良いときですら罵詈雑言、ひどいときは必ず夫を鞭で打った。常に夫の足を縄で結んでおき、夫を呼ぶときはそれを引くのだった。士人は密かに巫女の婆さんと一計を案じ、妻が眠っているときに厠に入り、縄には代わりに羊を繋ぎ、彼は塀を乗り越えて逃げてしまった。妻が目を覚まして縄を引いたところ羊が繋がれていたので大いに驚き、巫女の婆さんを呼んでなぜこうなったか尋ねた。婆さんは
「奥様のこれまでの数々の悪行を、ご先祖様が怪しからぬと思われ、ご主人を羊に変えておしまいになったのです。もし悔い改められるのならば、私からも祈請してさしあげましょう」
と言ったので、妻は悲しみのあまり声をあげ、羊を抱いて慟哭し、自らを責めて二度とあのようなことはしませんと誓った。婆さんは七日間の潔斎を命じ、家中の人を別室に避けさせ、鬼神を祭り、夫が羊から人の姿に戻るよう祈った。夫はその隙に帰ってきた。妻は夫を見るなり泣きながら、
「ずっと羊になっていて、あなた、つらかったでしょう」
夫は
「草がマズくて、おなかが痛くなったのをまだ覺えているよ」
と答えたので、妻はますます悲しんだ。
後日、妻がまた悋気を起こしてしまったとき、夫はいきなり四つん這いになって羊の鳴き真似をしたため、妻は驚き慌て、裸足になって先祖の名を呼び「本当にもう二度としません」と誓った。それからは二度と焼餅をやくことはなくなったという。
これはあれやな。妻がかわいそうになってネタばらしをしたら殺されるやつやな。
焼餅ばかりで疲れたのでどうでもいい話をしよう。とある男、病気で死んだのだが、閻魔様から悪事の罰として驢馬にされてしまった。なんとか身の潔白を証明でき、元の人の姿に戻って生き返ることができたが、あまりに急いで戻ってきたために一部が馬のままだった。男がこりゃいかん、全部人に戻して貰わないと、と冥土に戻ろうとしたので、女房は慌てて引き止めて言った。「あのヒゲの閻魔様が話を聞いてくれるとはおもわないわ。私は我慢しますからそのままでいいのよ」。『笑府』巨卵より。
杖で打たれても治らない悋気
泰元中,有人姓荀,婦庾氏,大妬忌,荀嘗宿行,遂殺二兒。爲屋不立齋室,唯有廳事,不作後壁,令在堂上冷然望見外事。凡無鬚人不得入門。送書之人若以手近荀手,無不痛打。客若共牀坐,亦賓主倶敗。鄰近有年少徑突前詣荀,接膝共坐,便聞大罵,推求刀杖。荀謂客曰:「僕狂婦行,君之所聞。君不去,必誤君事。」客曰:「僕不畏此。」乃前捉荀手,婦便持杖直前向客,客既大健,又有短杖在衣裏,便與手,老嫗無力,卽倒地,客打垂死。荀走叛不敢還。婦密令覓荀云:「近遭狂人,非君之過,君便可還。」荀然後敢出。婦兄來就荀,共方牀臥,而婦不知,便來捉兄頭,拽著地欲殺,方知是兄,慙懼入内。兄稱父命,與杖數百,亦無改悔。
晋の太元年間(376-396年)、荀という姓の人がいた。その妻は庾氏といい、大層妬心が強く、かつて夫が一晩帰ってこなかっただけで二人の子供を殺してしまったほどだった。家を建てても夫の書斎はなく、客間*には後ろの壁をつくらせず、母屋からいつでも外を望見できるようにしていた。ヒゲのない人は門をくぐることができず、手紙を届ける人がもし夫に触れでもしたら、必ず打ち据えた。また、客がもし夫と一緒に腰掛けに座ったなら、夫も客も酷い目にあうのだった。
ある日、近所の若者が直接荀の所に訪ねてきて、彼と膝を接して座ったところ、すぐさま大きな罵声と刀杖を持ってこさせる声が聞こえてきた。荀が客に「うちの妻の行いが常軌を逸していることは、あなたもご存じでしょう。早く帰らないと、あなたにとんでもないことをしでかしますよ」しかし客は「そんなもの別に怖くはありませんね」と荀の手を取った。庾氏はすぐに杖を持って客に向かって行ったが、客は大柄で壮健な人であり、隠し持った短杖であべこべに彼女を殴りつけたため、庾氏はその場に倒れた。客は死ぬほど散々打ち据えた。荀は走って逃げ去り、家に帰ろうとしなかった。庾氏は密かに夫を捜し回り、「最近狂人に遭いましたが、これはあなたのせいではないから帰っていらっしゃい」と人に言わせ、それでやっと荀は家に戻った。
またある日、庾氏の兄が荀を訪ねてきたとき、二人ともに腰掛けで横になっていると、庾氏は自分の兄だと知らず、すぐさまやって来て兄の頭を引っ掴み、床に引きずって殺そうとした。そして兄だと気づいて恥じまた懼れ、部屋に引きこもった。兄が父の命令だと称して杖で数百回打ちつけたが、それもなお彼女は悔いあたらめることはなかった。
「廳事」は役所で公務を執行する大広間のこと。のちに私邸の母屋や客間を指す。
杖で打たれないとを知って喜ぶ
諸葛元直妻劉氏,大妬忌,恒與元直杖。與杖之法,大罪十,小罪五。然得手摩,不得一一受也。常行杖小重、元直不勝痛,纔得一兩,仍以手摸。婦誤打指節腫。從此作制,毎與杖,輒令兩手各捉䋟跗。元直□□□遇見婦捉䋟跗欲成衣,謂當與己杖,失色怖。婦曰:「不也。捉此自欲成衣耳。」乃欣然。
諸葛元直(不詳)には劉氏という妻がいたが、大変な焼餅焼きで、常日頃元直を杖で叩いていた。杖で叩く規則は、大きな罪なら十回、小さな罪なら五回であった。しかし手が痛み一回一回打つのが大変なので、常に小さくて重い杖を使っていた。元直が痛みに耐えきれず、一二回叩かれた所を手でさすったところ、妻は誤ってその指を打ってしまい、関節が腫れたことがあった。そのようなことがあってから、杖で叩く時は、両手で䋟跗を握らせるようにした。(ある時)妻は服をつくろうと思って䋟跗を持っていると、それを見た元直はまた叩かれるのだと思って真っ青になって怖がった。妻が「違うのよ。これは服をつくりたいから持っているのよ」と言ったので、元直は大いに喜んだという。
「䋟跗」はよくわからない。かぎ針のようなものだろうか。
以上。
もし、中国における女性の嫉妬にまつわる話をもっと読んでみたい方がいれば、謝肇淛が『五雑組』人部四に六十人ほどの話を集めているので、それを見るのが一番簡単だろう。蒲松齢の『醒世姻縁傳』まで進むかどうかは個人の責任としたい。
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