駆け出しのころ
「『画縁胎盤』は『がくぶちたいばん』と読むんだ」
と教えられたことがあった。
「字が違うようですが」
「それはな」当時の指導医はふんと鼻を鳴らした「むかし胎盤病理の偉い***先生が教科書を書いたとき、胎盤のへりを卵膜が縁取る様子を額縁に喩えたんだが、絵画と枠のイメージに引っ張られて『額縁』の『額』を『画』と書き誤ったんだ。そうして『画縁』が生まれたというわけだ。知らなかっただろう?」
彼はふんぞり返った。
当時の私は「まあそういうこともあるのかもしれない」とふんふん聞いていたのだが、いま思い返すと与太以外の何物でもない。画縁胎盤は placenta marginata (circummarginate placenta) の訳語であり、(circum-) marginate は having a distinct border of edge の意であるから、「画縁」は「縁を画す」「縁が画された」という動作またはその結果を表すはずであり、「額縁」という物の名を指しているはずがないではないか。
古い産科学書や産婆手引書を開いてみると、placenta marginata は明治時代に「劃緣性胎盤」と訳されたことがわかる。別に「緣廓性胎盤」の訳語もあったが、こちらは次第に使われなくなったようである。
「劃」の字は「くぎる」「面を分割する」の意。「画一的」「画然」「計画」といった言葉は本来「劃一的」「劃然」「計劃」と書く。絵画の方の「画」は「畫」であり、「劃」とは別の字である。
「劃緣性胎盤」は「辺縁が(卵膜挿入部により黄白色に)劃された(区切られた)胎盤」という意味であり、絵画とは全く関係がない。この黄白色物は組織学的にはフィブリンであり、妊娠中の胎盤辺縁部における微量出血が原因のこともある。
この問題が面倒なのは、極めて例外的ではあるが「額縁」を「畫緣」と書くことがあったためである。戦後、同声別字の「劃」「畫」はともに「画」が常用となった。そのため、「劃緣」「畫緣」はともに「画縁」となって区別がつかなくなり、上のような混線が生まれたものと思われる。
なおこの「畫緣」とやらの用例は極めて少なく、たいていは「絵画と枠のイメージに引っ張られて『額縁』の『額』を『画』と書き誤った」と思われるものである。たとえば日国は以下の用例を挙げているが、
がく‐ぶち 【額縁】
(1)書画や写真、賞状などを入れて掲げるためのわく。(引用者略)
*園遊会〔1902〕〈国木田独歩〉三「さうサ白紙にガラス板を張って画縁(ガクブチ)を着ければ空気の画だ」
左:『園遊会』, 金港堂, 1902年
右:『国木田独歩全集』第1巻, 改造社, 1930年
ちゃんと初出を確認すると実は左のように「畫椽」であったことがわかる。「椽(木へんに彖)」を「縁(いとへん)」に誤って引いているあたり、いいかげんな仕事をする辞書である。なお「椽」の音はテンで(丸い)垂木を指し、「緣」とは違いフチ・エンという音・訓や「へり・ふち」の意はない。だから「畫椽」は意味を成さない単なる誤記である。「畫椽」は独歩全集編纂の際に「額緣」に修正され、以後そのままである。悉く辞書を信ずることのいかに殆いかがわかる。