Gallantryとサムライ

 Edward S. Morse (1838-1925) は大森貝塚を発掘したことで有名だが、彼の日本滞在記に Japan Day By Day という本がある。先日なんとはなしに原書をパラパラめくっていたら、モースが来日してすぐ、まだ横浜近辺にいたころの記述にこんなものがあった。

Though the country people seem very polite in their repeated bowings, we have seen but little gallantry so far. As an example, we observed a young woman drawing water from a well. These in many towns are at the side of the street. She was interrupted by three men who left their load in the street to get a drink of water, she standing patiently by until they had finished. We supposed, of course, they would draw up a bucket of water for her; but nothing of the kind, — they did not even thank her.

この国の人々は、ぺこぺこお辞儀するところを見ると、非常に礼儀正しい印象を受けるのだが、これまで”gallantry”というものをついぞ見たことがない。ひとつ例を挙げよう。若い女性が井戸から水を汲んでいるのを見かけたのだが――この国では多くの町で道に沿って井戸がある――荷物を道に置いて水を飲みにやって来た三人の男たちが彼女に割りこんだのである。彼らが飲み終わるまで、女性は文句もつけず横で待っていた。私たちは当然彼らが女性のために水をもう一杯汲んでやるものと思っていたのだが、なんと彼らはそのまま立ち去ったのである――彼女に礼の一言さえ言わずに。

 わざわざ “they did not even thank her” と書いているので、もしかすると、男どもは単に割りこんだだけでなく、彼女が汲んでいる途中であった水を横取りしたのかもしれない。

 ところでこの”gallantry”という単語を私は知らなかった。文脈的におそらく「女性への配慮」とかそういう意味であろう、と推測して辞書を引いてみるとこうある。

gal・lant・ry
BrE /ˈɡæləntri/; NAmE /ˈɡæləntri/
1 courage, especially in a battle
2 polite attention given by men to women

Oxford Advanced Learner’s Dictionary

 なるほど。男性から女性に対する紳士的態度、という意味合いか。1の語義とあわせると、騎士道に相通じる概念のようだ。

 今日、今度は Basil Hall Chamberlain の Things Japanese を見ていたらまたこの単語に出会った。

Even more so does the absence of gallantry towards the fair sex. No Japanese Ariosto would have dreamt of beginning his epic of Chivalry with the words

Le donne, i cavallier, L’arme, gli amori,
Le cortesie, L’audaci imprese io canto.

“God and the ladies!” was the motto of the European knight. But neither God nor the ladies inspired any enthusiasm in the Samurai’s breast.

 サムライのもうひとつの特徴として、女性に対する gallantry が缺けていることがある。ルドヴィーコ・アリオストが日本にいたとしたら、騎士道を謳いあげるのに、次のような言葉で始めようとは夢にも思わなかったであろう。

  貴婦人を、騎士を、武勇を、そして愛を、
  優雅な振舞と、危険を顧みぬ冒険を、我は謳おうではないか。

 「神と貴婦人のために!」がヨーロッパの騎士のモットーであった。しかし、神も貴婦人もサムライの心を掻き立てることはなかったのである。

 ふと思ったが、”gallantry” は、ヨーロッパの騎士道と日本の武士道を比較検討する keyword になりえるかもしれない。

 さて、このへんの指摘は明治期の日本人にとってなかなか耳の痛いところであったらしく、当時日本人によって書かれた西欧向けの本では、女性の地位について紙幅を割いて弁明するのが常であったようだ。たとえば Okakura Kakuzo (岡倉天心)は Awakening of Japan においてこのように書いている。

We have never hitherto, however, learned to offer any special privileges to woman. Love has never occupied an important place in Chinese literature; and in the tales of Japanese chivalry, the samurai, although ever at the service of the weak and oppressed, gave his help quite irrespective of sex. To-day we are convinced that the elevation of woman is the elevation of the race. She is the epitome of the past and the reservoir of the future, so that the responsibilities of the new social life which is dawning on the ancient realms of the Sun-goddess may be safely intrusted to her care. Since the Restoration we have not only confirmed the equality of sex in law, but have adopted that attitude of respect which the West pays to woman.

しかしこれまで、日本人は女性をことさらに特別扱いにしてはこなかった。中国の文学において愛情は主なテーマではなかったし、日本の騎士物語において、サムライはつねに弱き者、虐げられし者の味方であったが、そこに性別による分け隔てといったものは存在しなかったのである。今日我々は、女性の向上こそ種族の向上に繋がると確信している。女性は過去の縮図であり、未来の源であるから、天照大神が支配したかつての日本の夜明けとともに、新たなる社会生活における責任というものは、彼女らの配慮に確実に託されるべきである。明治維新以来、われわれ日本人は、男性と女性が法律上平等であることをあらためて確認しただけではなく、西欧において女性に対して向けられてきた敬意をも取り入れたのである。

 天心にとって「女性の尊重」という概念は、あくまで西欧的価値観による文化である、という認識らしい。つまり、近代化によって必然的に生じたものではなく、あくまで地域による意識の差、と強調している。彼はなぜこのような腑分けを行ったのだろうか。

 また後段で彼はこのように述べている。

In the East woman has always been worshiped as the mother, and all those honors which the Christian knight brought in homage to his lady-love, the samurai laid at his mother’s feet. It is not that the wife is less adored, but that maternity is holier. Again, our woman loves to serve her husband; for service is the noblest expression of affection, and love rejoices more in giving than in receiving. In the harmony of Eastern society the man consecrates himself to the state, the child to the parent, and the wife to the husband.

東洋において女性はつねに母として尊敬されてきた。キリスト教徒の騎士らが女性への愛に捧げた栄光は、サムライにとっては全て母が享うけるべきものであったのである。これは、妻を軽んじたのではなく、母を神聖なものとしたのである。もう一度言おう。日本の女性は夫に仕えることを愛したが、それは、奉仕こそ愛の最も崇高な表現であり、愛は受けるよりも与えることを喜ぶからである。東洋の社会においては、男性は国家に身を捧げ、子は両親に、そして妻は夫に身を捧げるのである。

 私は先に「弁明」と書いたが、これはむしろ西欧への対抗としての東洋の称揚であろう。私は天心の著作はこれしか読んでいないのだが、彼がなぜこのような思想を持つに至ったか、すこし時間をとって調べてみたいと思った――今はここまで。

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