Facing the ocean, I call your name, helpless.

 アメリカにいたころのはなし。

 私がいた都市には Japanese language church というものがあった。日本人向けの教会である。

 ふつう Japanese church と称するところ Japanese ‘language’ church と妙な注釈が入っているのはなぜだろうと思っていたが、訊いてみると、Korean の牧師と Japanese の奥さんが切り盛りする教会なので「そういうこと」になっているということであった。ようわからんが、そんなこと気にせんでええのに、というのが私の率直な感想であった。

 さて、ある年のクリスマス、教会でパーティーが開かれると聞き、極度の出不精な私も美味いものが食えるかと思い顔を出したことがあった。


 会場はたいへんな賑わいであった。

 おそらく元は日本人であろう asian の婦人たちが闊達と動き、笑いさざめく喧噪のなか、会場にはよく知ったる和食が所狭しと敷きつめられた。この地で家庭をもった彼女らが腕によりを掛けた料理はどれも私たち邦人を大いに楽しませ、その脚元には、彼女らに纏い付く少年たちの歓声が高らかに響いていた。笑いさざめく喧噪の向こう、彼女らの夫であろう髪の白い白人男性が腰掛ける奥のテーブルは静寂が場を支配していた。彼らは茫然と互いに顔を見合わせ、ときおり、静かな笑みを浮かべた。

 私はそれを横目に見つつ、牧師が切り分けた七面鳥をつまみながら会場をウロウロしていた。そのとき、部屋の隅に「ご自由にお取りください」と書かれたダンボールがあるのがふと目に入った。ひょいと覗いてみると古い日本の歌謡曲CDや文庫本がごちゃごちゃ入っているようである。好奇心に駆られて少し探ってみると、星新一や高橋義孝の新潮文庫に混じって一冊のくたびれたペーパーバックが目に留まった。

 ”Burial in the Clouds” Hiroyuki Agawa / Teruyo Shimizu
―― あらためて言うまでもなく阿川弘之『雲の墓標』である。

 英訳が出ていたとは知らなかった。

 懐かしさとともに巻末を開き、「展墓」がどのような訳になっているかを見た。

展墓

われ この日
真南風まはへ吹くこの岬山さきやまに上り来れり
あはれ はや
かへることなき
なんぢの墓に ぬかづくべく

海よ
海原よ
汝の墓よ
ああ湧き立ち破れる青雲の下
われに向ひてうねり来る蒼茫さうばうたる潮流よ

かの日
なれを呑みし修羅の時よ
いま寂かなる平安たひらぎの裡
なれをいだく千重ちへの浪々
きらめく雲のいしぶみよ

嗚呼 そのいしぶみ
そのいしぶみによみがへる
かなしき日々はへなりたる哉
その日々の盃あげて語りたる
よきこと またたふときこと

真南風吹き
海より吹き
わがたつ下に草はみだれ
その草の上に心みだれ
すベもなく が名は呼びつ 海に向ひて

 「ああ、詩の翻訳とは難しいものだ」というのが私の正直な感想であった。

 いや、Shimizu氏の訳におかしな点はない。そうではないのだ。ただ、この訳詩を読んでも、なんの情景も心に浮かばないのに、そのとき驚いたのである。

 詩が表現しているものを、他の言語で表現することは可能なのだろうか。

 詩のリズム、韻、ことばにこめられた含意を、異なる言語で置き換えることは、おそらく翻訳という営みの域を超えている。その間には、言語体系の相違と文化的背景の隔絶がある。膨大な注釈によってそれを補うことはできるのかもしれない。

 『雲の墓標』は国文学者吉井巌氏の日記をもとにしており、「展墓」は作者の旧制廣島高校時代の友人、大濱厳比古氏の作である。彼のことばには、記紀以来の語の響きを愛しみ、人の祈りをそのまま歌に沈めようとする静かな力がある。しかし――クリスマスを祝う喧噪のなかで、私は、ぼんやりと考えに沈んでいた。

 そのとき、ひとりの少年が何かおもしろいものを見つけたのか、大声をあげて私の側を駆け抜けた。

「こらっ、静かになさい」と日本人だったであろう婦人が叱咤した。

姿格好は日本人の彼は即座に英語で反論した。

“But I was just playing!”

そのとき、私は胸を衝かれたような気がした。会場ではまだ笑い声が絶えなかった
――ただその声が、私には少し遠くに聞こえたような気がした。

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