箚記– 讀書雜記 –
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整骨医の消化器病理医?
「DOって知ってる?」と留学先のボスに訊かれたことがある。 大学主催の病理シンポジウムがあり、そのアジェンダを見ながら雑談していたときだった。ボスも講演者の一人である。その時ボスが指差していたのは、炎症性腸疾患のセッションの講師だった。... -
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揚州の鶴と陳州の鶴
私はハンバーガーやピザがすこし苦手である。 と言っても最初からそうだったわけではない。そうなったのは、アメリカでしばらくそればかり食っていたせいである。渡米当初は調理具もないし、とかく忙しかったので、毎度病院食堂で飯を食っていたのだが、... -
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馬の去勢
Youtube のおすすめというのは不思議なもので、ときどき妙なものを挙げてくることがある。 https://www.youtube.com/watch?v=GCuJaC1VZVE 私は確かに前立腺や膀胱、精巣、腎臓といった泌尿器系臓器について主に仕事をしているが、対象は人間である。い... -
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アニサキスの種類と食文化
いちどだけ別府を訪れたことがある。 理由はカンタンで、温泉につかりたいために学会に演題を出して出張扱いにしたのである。細胞診学会の秋総会はそういう観光したい人向けのチョイスが多い気がする。また学会が終わったあと、長年リウマチを患ってい... -
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Facing the ocean, I call your name, helpless.
アメリカにいたころのはなし。 私がいた都市には Japanese language church というものがあった。日本人向けの教会である。 ふつう Japanese church と称するところ Japanese 'language' church と妙な注釈が入っているのはなぜだろうと思っていたが... -
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仏印からの留学生
ベトナムの古典『金雲翹』の成立過程について調べていたとき、大阪朝日新聞に「佛印初の日本留学生フアム・ダイ・タイ君」という記事をふと見つけた。 かう語るのは佛印最初の日本留家の出であり、目下パリに留学中の實兄ファム・フイ・トン氏はテー・ル... -
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毛利の殿様とカツオ
毛利の殿様が紀州公に招待され、饗応を受けたときのこと。ある魚を供されたが、殿様それが何か分からない。食してみると大層美味であったので名を尋ねると、松魚とのことであった。屋敷に戻り、時々松魚を料理して出すよう料理方に命じたところ、それを... -
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上海たまご
世の中には「地図帳好き」な人というのがいて、おそらく私もその一人である。 帝國書院『新詳高等地図』さえあればいくらでも時間を潰せる子供であったから、今でも暇があると古い地図や Google maps を眺めるのを常としている。 さて、先日 Wikimed... -
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町中華のスープ
グレゴリ青山さんの『ナマの京都』を読んでいたとき、担当の談として「生まれも育ちも京都だし、おいしい食事処を教えてよ」と訊かれたが、ご飯はいつも家で食べていたので王将しか思いつかなかった、という笑い話があった。 グレゴリ青山『ナマの京都』... -
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病理医の昼寝
仕事中によくうつらうつらする病理医はメガネを見ればわかる。顕微鏡の接眼筒にぶつけた痕がメガネのレンズに残るからである。だいたいこんな感じである。 「病理医を犯人です」とかいう決め台詞でミステリのネタにでもしたら面白いかもしれない。 と... -
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スンスンおじさんの真実
この歳になるとめったにゲームはやらないが、Europa Universalis や Hearts of Iron のような歴史に材を採ったものならばたまに触ることがある。 さて、Hoi2 player なら誰でも知っている有名な写真に「スンスンおじさん」というものがある。 フラン... -
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干柿の白い粉
子どものころ、おやつにときどき干柿や干し芋が出た。 いつしか私は白い粉をたくさん吹いたものを自然と選ぶようになったのだが、長いことそれを不思議に思っていた。経験的にその方が美味いのである。 あるとき「あの粉は後づけされた甘味料で、そ... -
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父と子と汁かけ飯 ―― 飯に汁をかけてはいけないか?
こどものころ、よく味噌汁をごはんにかけて食べていた。 そのたびに前で食事をしていた父が「ねこまんまだな」と渋い顔をしたのを憶えている。「どうもこれは不調法な行いらしい」といつしかやめてしまったのだが、今でも内心腑に落ちない思いが残って... -
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蜀のムーランと明玉珍の乱
「ムーランって誰やろ?」 USCAP Annual Meeting でロサンゼルスに行ったとき、「久しぶりに豚骨ラーメンが食いたいなぁ」とリトルトーキョーをふらふら歩いていたら、いたる所にアジア人女性が大写しになった映画広告があった。よく見ると MULAN と書か... -
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緑の雪が降ると
ある朝、雪を踏みながらラボに向かっていると、道端に寄せられた雪が一部やや緑がかっていることに気がついた。 「彩雪現象だろうか」としゃがみこんで観察したところ、ますますそれっぽく見える。 彩雪現象とは雪が赤や緑などに染まって見える現象... -
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鯛の子
永禄十一年(1568年)5月、当時越前一乗谷に寄居していた足利義昭が朝倉義景を訪ねたときの記録(『朝倉亭御成記』)を眺めていたら、献立に「たいのこ」を見つけた。 『朝倉亭御成記』/『群書類従』所収(国立公文書館デジタルアーカイブより) 「九... -
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少女架刑
呼吸がとまった瞬間から、急にあたりに立ちこめていた濃密な霧が一時に晴れ渡ったような清々すがすがしい空気に私はつつまれていた。 十六の少女が生を終えたところから、この短篇ははじまる。 極貧に育った彼女は、家計のために働かされるうち、肺炎... -
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「爪痕を残す」が否定的な意味だって?
日日利用するオンライン辞書に JapanKnowledge というサイトがある。 私はいつも公式のアイコンに従ってJKと略しているのだが、どうも一般にはJKというと別のものを指すらしい。あるとき「JKのサブスクリプションはいいよ」と言ったところ友人に妙な誤... -
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飯降るヨーロー・タウン
『神明鏡』という本を読んでいたら「ごはんが雪みたいに降ってきたよ!はじめ怖かったけど皆で食べたんだ。不思議だね」なんて話が書かれていた。 『神明鏡』/「『續群書類従』第貳十九輯上(国立国会図書館デジタルコレクションより) 「天平十年戊寅六... -
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醬の禁忌
『異苑』に、幽霊の子を孕んだが、生まれてきたのは水だけだったという話がある。 晉潁川荀澤,以太元中亡,恆形見。還與婦魯國孔氏嬿婉綢繆,遂有妊焉。十月而產,產悉是水,別房作醬。澤曰:「汝知喪家不當作醬而故為之。今上官責我數豆,致劬不復堪。」... -
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『妬記』私訳
『妬記』は南朝宋の虞通之の手による書物で、晋代における女性の嫉妬の逸話を集めたものである。この本が編まれた経緯については、『宋書』后妃傳に、降嫁した公主がみな嫉妬深かったので太宗(劉彧)が憂えて近臣の虞通之に『妬婦記』を編纂させたとあ... -
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水ようかんの缶詰
赤松則良がオランダ留学に向かったとき、バタヴィアを発ってセントヘレナに向かう航海中、マダガスカル沖で桃の缶詰を食べたことを記している。船長が元日の祝いに出してくれたもので、時に文久三年正月(西暦1863年2月18日)のことであった。同行してい... -
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城のようなホテル
私が若く潔癖であったころ、田園地帯の車窓をぼんやり眺めていたとき、尖塔をいくつか従えた城のようなホテルが見えてきたことがあった。屋根は毒々しいピンク色で、夜はおそらく城全体を浮かび上がらせるのであろう、古びた電飾が何重にも白い外壁を這... -
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赤穂のカレー
赤穂城の近くにほんのすこしだけ住んだことがある。 「住んだ」というのはかなり大げさで、赤穂城の近くにある病院に三週間ほど泊まりがけで実習に行ったことがある、というだけである。関西から赤穂だと新快速で通えないこともないが、せっかくなので... -
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水になった子
イブン・バットゥータの『大旅行記』をゆっくり読んでいる。 バットゥータは1325年、21歳の時にタンジール(ジブラルタル海峡に面したモロッコ北部の都市)を出発し、聖地メッカに巡礼の旅に出た。『大旅行記』は、約三十年後故郷に戻ったバットゥータ... -
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張献忠の人の殺しかた――『蜀碧』手抄
張献忠は子供のころ、父親の棗売りについて蜀に来たことがあった。父親が驢馬を郷紳の門前につないでおいたところ、驢馬が糞尿で石柱を汚した。その家の下僕は怒り、張献忠の父親を鞭打つと、手で糞をすくって捨てるよう命じた。張献忠は柱の陰で下僕を... -
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柚子酒の藝
細胞診の講習会で香川に行ったとき、高松駅近くの居酒屋で初めて柚子酒というものを飲んだことがあった。口に含むとツンとした芳香が鼻に抜け、微かな苦みが喉を滑り落ちる感触が心地よく、帰りの夜行列車が入線するまでの時間潰しと思いつつ、少し過ご... -
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眼が六つある亀と敬新磨
蘇東坡が呂微仲を尋ねたとき、微仲はちょうど昼寝中であった。長い間待たされてから、やっと微仲が出てきたので、東坡は菖蒲盆の中で飼われている緑毛亀を指さして、 「この亀はどこにでもいるものですね。眼が六つあるものはなかなか手に入りませんが」... -
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『封神演義』のハンバーグさんはハンバーグになったのか?
寝ぼけあたまで本を読んでいて「ハンバーグ種はよく卵を産む」なんて文を見て目が醒めた。……なんのことだい。ハンバーグのタネが卵を産むって。 前後をよく読むと、このハンバーグというのはニワトリの品種のことだった。どうも明治の頃は「ハンバーグ... -
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宮本武蔵とかけてにゅうめんと解きます
「宮本武蔵とかけましてにゅうめんと解きます」 というなぞかけを父に出されたことがある。さっぱり分からず降参すると、「その心は、宮本武蔵もにゅうめんも『しんめん』でございます」というアホらしい答えであった。もとより、宮本武蔵は新免武蔵」...