読書の好みというのは年輪を重ねるに従って変わるものらしい。
中学生のころは独文一辺倒で、学校の図書室でカフカやマンの全集を片端から読んでいた。高校にあがるとプーシキン、ドストエフスキー、チェーホフといった露文に遷り、シュライエルマッハー、マルクス、ヴェーバー、デューイらに寄り道したあと、ボルヘス、リョサ、マルケスらのラテンアメリカ文学を経て、中年男となった今では本邦の古典や中文ばかりである。
先日久しぶりに『大尉の娘』を読みかえしていて、ふとくたびれた岩波文庫の裏表紙をめくったとき、鉛筆で「10」と書かれているのに気がついた。ああ、これを買ったのはたぶん「歩危(ぼけ)書房」だな、と懐かしくなった。
「ぼけ書房」とは関西大学前にあった古本屋である。
古い文庫本が一冊五円から十円で手に入ったので、小遣いの限られている中高生にはありがたい存在であった。この店で買った本は今でも書架の一画を占めている。
店は関西大学へと続く通りの二階にあった。
入って右手がマンガや雑誌、中央が単行本、左が文庫本ではなかったか。左手前では店主と思しきおっさんとバイトの若い女が木机に座って楽しそうに喋っていた。店内には汗牛充棟とはかくやと思われるほど本が詰まっており、もし地震が起きればナブ・アヘ・エリバ博士よろしく本に押しつぶされて死ぬしかないなぁ、と思った覚えがある。夏の店内は悲惨なもので、左奥一段下がったところにあった剥き出しの送風ノズルの風を浴びてようやく一息つけるといった有様であった。
何度か通っているうち、駅前にBookoffができたことに気がついた。進学した大学は京都にあったためぼけ書房からは足が遠のき、しばらくして店が潰れたと父から聞いた。あの大量の蔵書はどうなったのだろう。
大阪の古書店はどんどん減っているように思える。
大阪球場から移転した南海なんば古書センターを久しぶりに訪ねたら、古書店がふたつしかないことに仰天したことがあった。第三ビル地下もシャッターばかりでずいぶん寂しくなった。
上本町にあった天地書房もなくなった。仕事で大阪赤十字病院を訪れたあと、ふと思いついて懐かしき天地書房を訪ねたら服屋になっていた。やんぬるかな。金がないころは外の棚のセール品でよく新書や文庫を買ったものだったが――しばらく立ちつくし、あわてて移転の報などないか見まわしたが何も無かった。その日は暑い日で、私はすこしめまいがした。やがてふらふら踵を返し上六に別れを告げた。もう上六に行くことはあるまい。
千林商店街にあった楠書店、川端書店、山口書店もコロナ禍を受けて相次いで閉店した。千林商店街をぶらぶら歩きながら、買った本を喫茶店で広げる楽しみはもうできないのか――私が千林の駅で降りることももうあるまい。
そういえば大阪ではないがカラト書房も閉店してしまった。
あと残っているのはどこだろうか。
江坂の天牛、南田辺の黒崎、天神橋筋商店街の駄楽屋、矢野、天牛、あと京橋の山内くらいだろうか。ああ阪急古書のまちもまだ健在か。
しかしこうしてみると、全体として綺麗な店ばかりが残っているように思える。ぼけ書房のような、あの、怪しく猥雑で、それでいて心躍る空間に踏み入れる感覚を味わうことは、おそらく、もうないのだろう。