北畠治房というジジイがいた。
元の名は平岡鳩平。江戸末期、奈良中宮寺の寺侍の家に生まれ、やがてこの時代の血気盛んな若者にありがちだが、尊王攘夷思想に大いにかぶれた。天誅組の挙兵や天狗党の乱に加わり、維新が成ってから、南朝の功臣北畠親房の末裔を自称したのである。この自称の件は、泣菫の『茶話』のなかで「親房卿から今の北畠男爵になる迄の歴とした系図でも出たら、法隆寺の老人も煙草入のやうな口を開けて喜んだに相違ないが、惜しい事をしたものだ」などと揶揄われている。
維新後は大隈重信派の官僚として働き、大津事件のときの大阪控訴院長として名が見える。また小野組転籍事件において裁定を下したことで知られる。司法から退いて後、男爵を授けられ、法隆寺村に隠棲した。だが、このジジイなかなか大人しく隠居していない。
泣菫は『茶話』の中で、北畠治房のことを何度も取りあげている。「暴風のやうなあの人一流の法螺」「法隆寺の雷爺北畠治房老人」「今大和の法隆寺村に隠棲してゐる北畠治房男の狂人染みた眼の色から顎髯の長く胸元に垂れかゝつた恰好」など散々である。まさに因業ジジイといった感じであるが、この頃(1916年)両者に面識があったか私は知らない。
それから十年経って出版された『太陽は草の香がする』の中に「中宮寺の春」という短篇がある。泣菫が法隆寺を訪問したときの想い出を綴ったもので、案内者は在りし日の北畠老人である。相変わらず傲岸不遜で傍若無人だが、泣菫の筆致は憎めない老人として描いている。『茶話』のようなゴシップコラムとは異なるということもあるだろうが、案外とちょっと可愛げのあるジジイだったのかもしれない。
さて、北畠治房の愛すべき頑迷ぶりを示す挿話をひとつ、嬌溢生『名士奇聞録』(明治四十四年発行)から引いてみよう。嬌溢生とは「実業之日本」の記者で、のち社長の増田義一(1869-1949)である。
北畠治房骨董古器物の鑑識に長じて數々奈良法師を驚かす、以爲く本邦の古器未だ乃公(俺様)の嗜好を滿たすに足らずと。因て大に滿韓の珍器を集め、一銅管の狀恰も喇叭に似たるものを選んで之を床の間に飾り、以て大に其珍を誇る。一日犬養(毅)朝吹(英二)の二客來り遊び、件の銅管を見て而して其何物たるやを問ふ。治房得々として答えて曰く『知らずやこれは朝鮮の送音器なることを』と、自ら管口に接吻して大呼するもの數回、犬養の曰く、『どうも些と變だな、恐らくは朝鮮の便器ぢやないか』と、英二を顧みて散々ケチを附くれど治房頑として兜を脱がず、然れども能々考ふれば何だか便器の見立が適當らしく、鼻毛俄にムヅ付いて居ても起つてもゐたヽまれず、二客の去るや直に珍品を物置へ投り込む。
治房が蒐集していた銅管が本当は何であったかはわからない。ただ「管状の便器」というと、江戸時代に将軍や公家が用いた「尿筒」の類いだったのではないだろうか。
高貴な身分の者が畏まった場で衣冠束帯の姿でいるとき、急に尿意を催したらどうするか。便所に行って用を足すには、着こんだ服を脱ぐ必要がある。しかし儀式の最中に、そんなことをしてはいられない。そんな時に、袴のわきからこの尿筒を使って排尿するのであった。管見によれば、ラッパ状のものがあったとは知らぬが、尿をこぼさぬようその形態をしたものがあってもおかしくはない。
左の図は本間百里『服色圖解』より。「尿筒 竹ニテ造リ腰ニサヽシム或ハ當時淺黄ノ囊ニ納レテ從者持之又紙ニテツクリ自ラ懐中セラルヽナリ」と説明されている。銅や錫のほか、竹で作られたらしい。
十世紀に中国らと通商していたアラブ商人は「シナ人は筒を使って立って小便をする。彼らが言うには、座ってするよりも尿をしっかり押し出すことができ、膀胱炎や結石の苦しみから逃れることができるらしい」と語っているので、唐代には既にあったらしい。
朝鮮にもおまるはあったが、 そのまま通りに投げ捨てやすいよう、器型のものが多かったと何かで読んだことがある。なお、おまるに「虎子」という字をあてるのは、葛洪『西京雑記』の「漢朝以玉為虎子為便器使侍中執之行幸以従」に由来する。もちろんこんなものは当字であり大した意味は無い。
さて、この「筒を知らず口にくわえ、後で小便筒だと指摘されててんやわんや」という尾籠なネタは昔から大衆に喜ばれたと見て、類話をいくつか読んだことがある。最も人口に膾炙しているのは『続膝栗毛』近江国愛知川驛(三巻下)の話だろう。
伊五右というおやじ、弥次北と生臭坊主の四人がどじょう鍋をつついている場面から――
おやじ「時に酒は此所にあるわい。みなに私から振る舞おうぢやないか」と、腰に差した火吹竹程の長さで、黒く塗った吹筒を取り出した。皆その吹筒から酒をついで飲む。
おやじ「どうです。好い酒でしょうが」
坊主「いかにも。そこらへんの並の酒とは違って、こりゃ生諸白(清酒)ではないか」
さてしばし酒を飲みながら歓談していると、坊主がひょんなことを言い出した――
坊主「ところでトンと気がつかなかったが、のう伊五右。この吹筒はお前が物好きにも拵えたんかいな?それともどこかで買うたんかいな?」
おやじ「いやこれは昨年上京したときに四条の古道具屋で買ったものの、どうにも使い途がないもんで、こりゃ吹筒にしたらよかろうと」
坊主「そりゃきっと、下地から黒塗にしてあって環っかもつけてあったじゃろ?」
おやじ「その通りじゃ」
坊主「ええいケッタクソ悪い(ひょうたくれなことしたわい)」
おやじ「なんでじゃ」
坊主「その吹筒の酒をうっかり飲んでしまったが、ああ胸がむかついてならん」
弥次「どうしたんじゃ」
坊主「はてその吹筒は公家さんの小便用じゃ」
皆「なんやなんや」
坊主「これは、禁裏の葬送なんぞの時に、お公家さんが皆持っている完筒というものじゃ。急に小便に行きたくなったときに、その筒にするんじゃ。江戸でも、青竹を火吹き竹程に切って大名さんが持っていたりする。江戸でも完筒と言って中に小便するもんじゃわいな」
北「ええーそんならこの吹筒は元々公家さんの小便筒かいな。こりゃ大変や」
弥次「ええいとんだ目にあった。キサマなんで小便筒なんかに酒を入れておいらに飲ませた。ああこりゃ胸がゲーッ」
北「ええ汚ぇゲーッ ゲーッ」
おやじ「こりゃすまんことしたが、わしもそんなことはトンと知らんでしたことじゃ。口直しに他の酒を振る舞いましょ」
さてさて。弥次北も仕方なしに代りの酒をしたたか飲んで出発した。
胸わるや公家衆のしたる小便とうつてたかわつた酒は吹筒
そして弥次北は鳥居本の宿につきましたとさ。