神在月の出雲は、夏のなごり冬のけはひ、たがひにえゆづらず、風のみぞ、その境を行きかよへる。
かの日、舊き醫學校の、敎授の局の北向きなる窓より見やれば、木々、やをら右さまになびく。西より吹き入る風、いまだ乾きも果てぬ枝葉をそとおしやりて、葉裏の白きを、しばしこなたに向けては、またうち散らす。
舊き友の、「見よ」とて指さしのべたるかたに、山陰本線の列車、いとゆるやかに進みたり。そのあゆみを速めたるにはあらで、ただこの地の時のみぞ、のどかになりゆくやうに見ゆる。銀鼠なるその身、曇れる空の光を鈍く返しつつ、木の間を靜かにすべりゆく。音はここまでも屆かで、ただ目のはしに、その移ろひゆくさまのみぞ見えける。
ただこぞのことなれど、今思ひかへせば、はや遠きいにしへのごとし。風にそよぎし枝のさまも、舊き友の指さししかたも、窓の玻璃にうつれるあはき影さへ、今はひとへの霞のかなたに沈みにけり。されど、その折ふきたりし西風のみぞ、今もなほ、身に沁みてとどまれる。ときのうつりゆくきはに立つ風は、なにゆゑにか、つねに、おのが歸るべきところに觸るるここちにこそ、似たりけれ。
《出雲の國に舊き友をとぶらひて、神在月のなごりををしみつつ、都へ歸るとて、むかし都にて机ならべしともにおくる》
八雲立つ
稻佐の濱に
神集ふ
竝びし友を
おきてこそ行け
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