馬の去勢

 Youtube のおすすめというのは不思議なもので、ときどき妙なものを挙げてくることがある。

 私は確かに前立腺や膀胱、精巣、腎臓といった泌尿器系臓器について主に仕事をしているが、対象は人間である。いきなり牛の去勢法を見せられても困るのである。

 ただ、動画自体は興味深かった。牛の場合はこういった器具を用いて迅速に去勢を行うものらしい。ずいぶん感心したので、同僚の泌尿器科医に動画を見せながら「こういうのって人間でも使えるの?」と戯れに尋ねたところ、彼はしばし私の顔を見ていたが「じゃ、先生が精巣腫瘍になったらこれを使ってあげましょう」ということになった。「病理医は自分の専門分野の病気で死ぬ」とは言うが、もしかすると手術で死ぬハメになるかもしれない。


 五代のひとつ、後唐の李存勗配下に郭崇韜という名將がいた。彼が李存勗の長子李繼岌とともに前蜀を征服したときのことである。

崇韜素嫉宦官,嘗謂繼岌曰:「王有破蜀功,師旋,必為太子,俟主上千秋萬歲後,當盡去宦官,至於扇馬,亦不可騎。」

『新五代史』郭崇韜傳

郭崇韜はかねてから宦官を嫌っており、かつて李繼岌にこう言ったことがあった。「魏王(李繼岌)には前蜀を滅ぼした功績がございますから、都に凱旋した暁には必ずや太子に立てられるでしょう。皇帝陛下(李存勗)が崩御されあなたがあとを継がれましたら、宦官を悉く朝廷から排斥するべきです。もう扇馬に乗ってはなりません」

 「扇馬」とは去勢された馬のこと。ここでは宦官を指している。後唐の皇帝(荘宗)李存勗が宦官を重用したことを郭崇韜はおもしろくなく思っていたので、その子李繼岌に宦官の排除をけしかけたのであった。

 郭崇韜は代州鴈門の人で、漢民族か突厥かは分からないが、地理的に遊牧民族と関わりの深い地の出身である。だからこういう喩えが出たのだろう。ただちょっと意外なのは、喩えにせよ「扇馬なんかに乗らない」と言っている点である。

 中国では古くから馬の去勢が行われてきた。たとえば『周禮』に「頒馬攻特」とあり、これは『周禮正義』で「攻特とは馬を騬すること。攻駒と同義である。『說文解字』馬部によれば騬は馬を犗するのである。『廣雅』釋獸に云う騬犗攻㹇である。馬の陰嚢を割去することを云う。今の扇馬である。」と説明されている。五代十国の頃は軍用馬などの去勢は徹底されていなかったということだろうか。もしかすると、この発言は前蜀を滅ぼして四川に駐屯しているときであるから、北方に比べ蜀では去勢が進んでいなかった、ということを表わしているのかもしれない。後日、清の趙翼も『陔餘叢考』の中で同じことを述べているのを見つけた。

 ちなみにこの郭崇韜がこう言った相手、李繼岌は病気のため性的不能だったという。この後のことを考えると彼はもう少し言動に注意した方が良かったのかもしれない。
* 『新五代史』卷十四唐家人傳第二「繼岌少病閹,無子。」

 一方で郭崇韜が宦官をないがしろにするのに監軍の李從襲らは不平を募らせていた。

 荘宗が軍の慰問に派遣した宦官の向延嗣もまた郭崇韜が挨拶に来ないのに激怒し、李從襲と謀って「郭崇韜は蜀の財物を我が物とし、叛亂を企んでいます」と誣告した。讒言を信じた荘宗は郭崇韜の逮捕を命じ、李繼岌の母、皇后劉氏は郭崇韜の誅殺を強硬に主張した。命令を受けた李繼岌は躊躇ったが李從襲らの説得の前に折れ、やむなく郭崇韜を誘い出した。誘い出された郭崇韜が李繼岌の所に行こうと階段をのぼろうとしたとき、李繼岌の従者・李環がうしろから彼の頭を打ち砕いたのであった。

 なお、郭崇韜誅殺のために派遣された宦官の名は彥珪という。
……これはあれやな。たぶん扇馬云々は史官が思いついて適当に拵えたんちゃうかな。

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