醬の禁忌

『異苑』に、幽霊の子を孕んだが、生まれてきたのは水だけだったという話がある。

晉潁川荀澤,以太元中亡,恆形見。還與婦魯國孔氏嬿婉綢繆,遂有妊焉。十月而產,產悉是水,別房作醬。澤曰:「汝知喪家不當作醬而故為之。今上官責我數豆,致劬不復堪。」經少時而絕。

『異苑』卷六

東晉のころ、潁川の荀澤は太元年間に死んだが、姿がそのまま見えていた。妻の魯國の孔氏は淑やかで美しく、荀澤は家に戻ってきてこれと交わり、ついに妻は妊娠した。十月とつきたって出産したが、生まれたのは水だけであった。別の部屋では醬を作っていた。荀澤は妻に言った。「お前は喪中の家では醬を作ってはならぬことを知っているか。私は上官に責められ、豆を数えさせられているので、もうくたくたでたまらんよ」しばらくして荀澤は姿を消した。

 前段の産み落としたのが水だけであった云々は、『栄花物語』の承香殿の例もあるし、話の類型としてありえないものではない。ただ、後段が意味不明でずっと気にかかっている。

 『太平御覽』の飲食部を開いてみると、「醬」の項に引かれている『風俗通義』にこんな文章があった。なお、この文は現在通行する『風俗通義』の本文には無いようである。

雷不作醬,俗說令人腹內雷聲。按子路感雷精而生,尚剛好勇。死,衛人醢之。孔子覆醢,每聞雷,心惻怛耳。

『太平御覽』飲食部二十三

雷が鳴っているときは醬を作らない。俗説に、(雷が鳴っているときに醬を食べると?)人の腹に雷聲を生じさせるという。按ずるに、(孔子の弟子の)子路は雷の精を感じて生まれ、剛を尊び勇を好んだ。殺されたとき、衛人はその死体を醢ししびしおにしたため、孔子は家にあった醢を全て捨て、雷聲を聞くたびに子路を思い出して悼み悲しんだという。

 字が違ってややこしいが、醤と醢は本来同じものである。醢とは、処刑後の死体を塩づけにする極刑。子路は雷の子で、醢にさせられたので、雷が鳴っている(=子路の気が満ちている)ときに醢(=子路の体)を体内に取りこむと、腹に雷が入りこんでゴロゴロ鳴るというリクツと思われる。


 先の『異苑』に戻ると、醬・醢は死体を連想させるものであり、また聖人(孔子)の嘆きの元であるから、喪中の家ではこれを忌んだのだろうか。また、腹中に雷を生じさせそれが流産のもとになる、という発想かもしれない。……などと職員食堂で味噌汁を飲みながら考えたのだった。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!
  • URLをコピーしました!
目次