寄り道は、しません。
しないことにしています。
してしまうと、そこに獣がいるからです。
私はそれを知っている。正しく知っている。あれは、罠でした。草むらの、ねばついた、罠。
だから私は、毎朝決まった時間に目覚めます。
目覚ましが鳴る前に、目覚めます。なぜなら私は勤勉だから。忠実だから。大変よくできました。
左足から立ち上がるのが正解です。昔、間違えて右から立った日、雨が降りましたから。
だから私は左から立ちます。
歩くときは、できるだけ均等に。歩幅も、重心も。呼吸も、平均して。
駅までの道には白線があります。
白線からはみ出すと、下にオオカミがいる。
白線の下には世界の裏側があるから、そこに堕ちると二度と戻れません。
だから私は絶対に踏み外さない。
私は、白線の上を、上手に歩ける子。
私は、正しく見えていると思います。
勤務成績も平均以上。会話も常識的。食事も規則正しく。笑顔も不自然ではない。
赤い頭巾?いいえ、今はロッカーの奥にしまってあります。
あれをかぶると、風の音が大きくなりすぎるから。
一度だけ、指が震えてボタンを押し間違えました。
でもすぐに謝りました。声を出して謝る練習もしていたので、完璧でした。
褒められました。
だから私は間違えてなどいません。間違えることは、もうありません。
昼休みに窓から見えた森は、今朝よりも一歩、近づいていました。
でも大丈夫。ロールカーテンを下ろせば、無かったことになります。
私は働いているのです。
真っ直ぐに。正しく。賢く。安全に。
これは罰ではありません。
望んでそうしているのです。
そう言われました。
何度も。
だから、そうなのだと思います。
帰り道、いつもの白線の上を歩いていると、
森の方から風が吹きました。
耳の奥で、小さな音が、ほどけるように散っていきました。
ことばではありませんでした。
ただ、風は、長くそこにいました。
たしか、あれは木曜日だった気がします。
歯が、とても白くて。
風が、少し甘かったのを、覚えています。
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