あるとき、殿さまが家臣をお集めになりました。その手には薩摩芋が一本握られております。
「そなたたち、これを見てなんと思う」
家臣は口々に「薩摩芋でございます」と答えましたが、殿さまはなにやら不満げなご様子。
「名など聞いているのではない。 この薩摩芋は今の世の有様を示したものと思わぬか」
家臣は「ははあ謎かけであったか」とおとなしく聞いていますと、殿さま続けて曰く
「しかと見よ。薩摩芋は上と下が痩せ細り、中だけが肥え膨れている。いま、京の天子は困窮せられ、人民は貧困に喘いでいるではないか――ところで、これを見よ」
と、袂から瓢箪を取り出され、掌で撫でながら仰るには
「この瓢箪は、中が細り、上下が豊かに実っている。余はこの瓢箪のような世であれかしと願っている。みなの者もこれを心して励むように」
家臣一同 「殿の叡慮のほどわれらの及ぶところではございませぬ」 と平伏いたしました。
それからしばらくして、また殿さまは家臣をお集めになりました。家臣どもが殿さまの手元をひょいと見やりますと、そこには鰹節がひとつございます。
「これが何か分かるものはおるか」
家臣ども「また始まったな」と互いに顔を見合わせました。やがて目配せされた一人が進み出て
「これはまさに今の時世をあらわしたものと存じます」
殿さまは少しお笑いになりました。
「では、その時世とやらを立ててみよ」
困ったのは家臣の方です。なんとか立てようと、畳の上で鰹節をコロコロ転がしておりますと、それをしばし眺めていた殿さま、急に刀に手をかけた。家臣どもが青くなるなか、殿さまはやおら鰹節を中腹で真っ二つにされました。そして、ふたつに別れた鰹節をそれぞれ手で持つと、斬った面を下にして畳の上にお立てになったのです。
「わかったか」
みなホッとするやら、なあんだと思うやら、とりあえず「ハッ」と平伏いたしました。
「時世もまさにこのようである。上も下も、それだけで世に在ることはできない。中がしっかりしているからこそ、上も下も拠って立つことができるのである」
家臣ども、今度は感心してまた頭をさげたとのことでございます。
『想古録』は、明治二十五年から三十一年にかけて東京日日新聞に掲載されたコラムである。今は二分冊で平凡社東洋文庫に入っている。上記の駄文は、そのなかの無関係な三つの逸話を抜き出してひと続きとし、大幅に脚色したものである。
前半の薩摩芋と瓢箪はそれぞれ水戸烈公と水戸光圀のもので、百姓・皇室の困窮と富商豪民の伸長を嘆いたものと解釈される。後半の鰹節は閑叟公(鍋島直正)によるものである。原文「世の中も亦みな此の如きなり、上も立つ能はず、下も立つ能はず、只上下の因て立つものは中途あるに依てなり」で彼が具体的になにを指して言ったのかはわからないが、私は水戸の極端な尊皇思想よりも閑叟公の方に親しみをおぼえる。