腰の細いものはメスにあらず?

 ふと訪れた四天王寺よんてんの池で亀を眺めていたら、スッポンがちょこちょこいるのに気がついた。

 亀の池にいるカメは基本的に放生されたものらしいが、もしかするとスッポン屋から逃げ出した個体もいるのかな? などとぼんやり考えているうちふと思いついたのだが、甲羅に「○○屋」とかスッポン屋の名を大書して何匹か放したらいい宣伝になるんじゃなかろうか?鍋になる代わりにここでながーく宣伝してね、ということである。

 我ながらいいアイディアだとホクホクしていたのだが、すこしたって滑稽新聞を眺めていたら全く同じ広告案が載っているのを見つけてしまった。うん、まあ私が思いつくようなものは百年以上前に誰かが考えていてもおかしくないね。

滑稽新聞、1902年10月20日

 絵面を見るとカメの名前のようである。

 カメの名前、別称というのはたくさんあって、たとえば『論語』1では「蔡」であるし、『荘子』2では「清江使」、『抱朴子』3では「時君」、ほか「先知君」(『雲仙雜記』4)やら「緑衣使者」(『本草綱目』5)やらいくらでもある。

 「元緒」というものもある。これは『異苑』巻三の「諸葛博識」から。

吳孫權時,永康縣有人入山,遇一大龜,即束之以歸。龜便言曰:「遊不量時,為君所得。」人甚怪之,擔出欲上吳王。夜泊越裡,纜舟於大桑樹。宵中,樹忽呼龜曰:「勞乎元緒,奚事爾耶?」龜曰:「我被拘繫,方見烹臛。雖然,盡南山之樵,不能潰我。」樹曰:「諸葛元遜博識,必致相苦。令求如我之徒,計從安得?」 龜曰:「子明無多辭。禍將及爾。」樹寂而止。既至建業,權命煮之。焚柴萬車,語猶如故。諸葛恪曰:「燃以老桑樹,乃熟。」獻者乃說龜樹共言。權使人伐桑樹煮之,龜乃立爛。今烹龜猶多用桑薪。野人故呼龜為「元緒」。

『異苑』巻三「諸葛博識」

呉の孫権の時のこと。永康縣のある人が山中で大きな亀を見つけ、捕まえて持ち帰った。すると亀が突然「運悪く捕まってしまった」と喋ったので、その人は怪しく思い呉王に献上することにした。(その道中)夜になったので船を越裡で止め、大きな桑の木に亀とともに船を繋いでいおいた。夜更け頃、桑の木が亀に話しかけた。
「元緒よ。いったいどうしたのだ?」
 亀が答えた。
「捕まってこれから煮られるところさ。ま、南山の木を切り尽くそうが俺を煮殺すことなどできないがね」
 木は言った。
「(孫権の配下の)諸葛恪は博識だから必ず方策を思いつくだろう。もし我々桑の木を切って焼いたらお前も安泰ではいられまい」
 亀、
「子明よ、それ以上言うな。誰かに聞かれたらあんたにも禍が及ぶんだからな」
 それから何も聞こえなくなった。
 建業に到着し、孫権は亀を煮させたが、どれだけ薪を焚いても亀はケロッとしていた。諸葛恪は「年月を経た桑の木を燃やせばこの亀を煮ることができるでしょう」と言い、また亀を献上した者も桑の木との会話を言上した。そこで孫権が桑の木を切って亀を煮させたところ、亀はたちまち煮殺されたのであった。このことから、今でも亀を煮るときに桑の木をしばしば用いるのである。またこれ以来人々は亀のことを「元緒」と呼ぶようになったということである。

 そういえば頼山陽の曾孫に頼元緒という人もいた。これも亀から採ったのだろうか。


 ことほどさようにカメの異名というのは有象無象たくさんあるのである。これに関した『捜神記』の翻訳の話を思い出したので少し書いておこう。巻十二の前半部から。

腰の太いものに雄は無く、腰の細いものに雌は無い。雌と交わらぬ雄は無く、子供を育てぬ雌は無い。

干宝 竹田晃訳『捜神記』平凡社東洋文庫、1964年1月

 腰の太い細いでオスメスが決まるとは全くもってわけがわからない。あちらさんのこの手の思想は基本的にちんぷんかんぷんなものが多いのだが、その中でもとりわけ意味不明である。

 不思議に思って原文を参照してみると、こう書いてあった。

大腰無雄,細腰無雌;無雄外接,無雌外育。

『捜神記』巻十二

 ああ「腰の太いもの」「腰の細いもの」はそれぞれ「大腰」「細腰」のことだったのか。うーん。なら注を入れた方が初読者に対し親切じゃないかな。

 なぜなら、「大腰」とは亀の、「細腰」とは蜂の異名だからである。たとえば張華『博物志』にこうある。

大腰無雄,龜鼉類也。無雄,與蛇通氣則孕。細腰無雌,蜂類也。

張華『博物志』巻四

 宋代の辞典『爾雅翼』も同様の思想を述べている。

天地之性,細腰純雄,大腰純雌,故龜鱉之類,以蛇為雄。《列子》亦云:「純雌其名大 腰;純雄其名稚蜂。」今黿亦大腰,乃復以鱉為雌,故曰 「黿鳴鱉應。」

『爾雅翼』

 ほか『説文解字』6や『埤雅』7では亀を指して「廣肩」とし、亀にオスはおらず蛇と交わる、と書かれている。この妙な迷信は李時珍が『本草綱目』8のなかで明確に否定しているが、そもそもなぜ「亀にオスはいない」なんていう考えが生まれたのだろうか。

 『説文解字』は両字の頭の類似性について言及しているが、実物の方も頭だけ見れば似ていなくもない。「亀は産卵するからメスはいる。しかし亀の性器はどこにあるかわからんし、亀同士で交尾している様子はないから相手は似た生き物であろう。それが蛇である」という理屈かなぁ……。もしくは北方の神である玄武が亀と蛇が絡み合った姿をしているように、亀が蛇を食おうとして互いに絡み合った姿を交尾と思ったのだろうか。

 四天王寺の亀を眺めていると、彼らは寺のど真ん中であろうとおかまいなしに交尾しているし、昔の人が亀の交尾を目撃したことがなかったとは考えづらい。しかし昔の人はなかなかガンコで、清代の『淵鑑類函』では『化書』を引いて「亀にはオスもメスもいるが、亀同士は互いを見やって気を通じる(神交する)のだ。亀と蛇は体を合わせまた気を通ずる(神交する)のだ」9とあくまで亀同士は体を合わせて交尾しなくてもいいんだ! と主張している。はてさて困ったもんだ。

  1. 『論語』公冶長第五「臧文仲居蔡,山節藻梲,何如其知也?」 ↩︎
  2. 『荘子』「予自宰路之淵、予為清江使河伯之所、漁者余且得予。」 ↩︎
  3. 『抱朴子』巻十七「稱時君者,龜也。」 ↩︎
  4. 『雲仙雜記』巻四「龜曰先知君。」 ↩︎
  5. 『本草綱目』卷四十五 ↩︎
  6. 『説文解字』龜部「从它,龜頭與它頭同。天地之性,廣肩無雄;龜鼈之類,以它爲雄。」 ↩︎
  7. 『埤雅』「廣肩無雄,與蛇為匹。故龜與蛇合,謂之元武類,從元龜。」 ↩︎
  8. 『本草綱目』介之一「或云大腰無雄者,謬也。今人視其底甲,以辨雌雄。」 ↩︎
  9. 『淵鑑類函』巻四百四十 「牝牡之道,龜龜相顧神交也。龜雖與蛇合,亦有以神交者。」 ↩︎
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