町中華のスープ

 グレゴリ青山さんの『ナマの京都』を読んでいたとき、担当の談として「生まれも育ちも京都だし、おいしい食事処を教えてよ」と訊かれたが、ご飯はいつも家で食べていたので王将しか思いつかなかった、という笑い話があった。

グレゴリ青山『ナマの京都』メディアファクトリー、2004年

 思わず噴き出したのだが、これはしかたないことである。生粋の地元民にそういうことを訊いてはいけないのだ。これは京都でなくても同じだろう。こういうのは現地で働いている転勤族に訊いた方がいいのである。

 やっとひねり出したのが王将というのもおかしい。

ラーメンなんかはたまに大ハズレがあるが、地元民が通う町中華ならば頼むものさえ間違えなければ大きく外しはしないだろう、という目論見もある。学会や講習会でときどき知らない地にゆくことがあるが、その時は中華を探すのがいちばん自分に戻れる近道である。


 そうえば、むかし仕事で住んでいた街にもそういった町中華があった。爺さんと息子夫婦でやっている店で、ラーメンは縮れ麺の私好みの支那蕎麦とでも呼ぶべきもので、木須肉ムースーロー定食や中華丼も美味い良い店だった。家から近かったのもあって、週末の昼はしばしば通ったものである。ただ残念ながら、私が転勤したあと COVID-19 禍の煽りを受けて閉店してしまったと聞いた。

 その店でチャーハンや定食を頼むとかならず小さな中華スープがついてきた。わずかにネギが散らしてあるだけのシンプルなスープである。

 はじめは「ふーん?」と思いつつ飲んでいたのだが、何度か通うにつれ次第にそれを楽しみにするようになった。味はなんの変哲もない薄い醤油味である。ただチャーハンなんかを食べながら飲むと、自身はなにも主張しないにもかかわらず、このスープがいいアクセントになって食欲を掻き立ててくれるのである。ズボラにチャーハンをすくったレンゲでそのまま飲める点もいい。これがなかったらチャーハンは少しだけ味気ないものになっただろう。

 ふと思ったが、これは味噌汁ではだめなのだろうか。

 自分で言っておいてなんだが別にそんなことはあるまい。餃子と白い飯に味噌汁なんてのは最高の取り合わせである。ただ相方がチャーハンならどうか。これはほんの少し妙な気がする。味噌汁は白飯を美味く食わせるもの、という意識が強いからだろうか。思うに味噌汁ではすこし主張が強すぎるのだ。あとはパエリアに味噌汁のようにお国違いという意識も重なるからかもしれない。

 出張がてらいろいろ店に行ってみると、このスープも店によってさまざまである。先の店と同じような武骨なスープもあれば、油條を散らした本格的な白湯であったり、ラーメンスープをそのまま出しているかと思うような店もある。スープは主食を引き立てるもの、と考える店もあれば、美味いメインと美味いスープを重ねがけしたい店もあるだろうし、あるいは忙しくて汁物まで手が回らない、なんてところもあるに違いない。

 脇にちょこっと添えられたスープからそういった事情を妄想をするのもまた楽しいものである。

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