焼肉定食一千円

 静岡しぞーかの真ん中へんに住んでいたころ、講習会やらでしばしば静岡市に出かけることがあった。静岡市に出るには各停に三十分ほど揺られる必要があるのだが、その途中に「六合」という駅があった。

 初めてこの駅名を見たとき、「あっ、これはどう読ませるつもりなのかな」とわくわくしたが、車掌さんのアナウンスは無慈悲にも「次はろくごう~ろくごう~」であった。聞けば、道悦島村など六つの村が合併してできたので「六合ろくごう」らしい。

 私がヘンな期待をしたのには理由があって、天地(上下)と四方(東西南北)を合わせた宇宙、世界の全てのことを「六合りくごう」と呼ぶのである。たとえば『荘子』斉物論篇に「六合之外聖人存而不論、六合之内聖人論而不議(六合の外は聖人は存して論ぜず、六合の内は聖人は論じて議せず)」とある。だからそれにかけた地名だろうと思ったのである。群馬県六合村が「くに」と読むのと同じである。


 「六合」を使った頓智話にこんなものがある。

尾藩の磯部子は洒落にして奇才の名を博したる人なり、侯の御前に召されて瓢箪の銘を命ぜらるとき、近侍の士を顧みて、此瓢は何合入なりやと尋ね、六合入りなりとの答へを聞くや直ちに筆を執りて天地四方と書せり、侯大いに其頓智を賞し、是れならば江戸へ出すも羞かしからずとて、江戸に召連れられ、大都の大家名流と交らしめたり、磯部の名声一時都下に高かりし

山田三川、小出昌洋編『想古録 2 近世人物逸話集』平凡社東洋文庫(1998年5月)p39-40

 上でも書いたとおり、天地四方の「六合りくごう」と、瓢箪に入る量「六合ろくごう」をかけたものである。

 ここで出てくる磯部についてはよくわからない。後段(引用外)で「上野中堂望下谷」の対句云々の話が出てくるが、これは菊池五山が「天神地内見人形」に対してつけた句というのを読んだことがある。五山は讃岐の人であり、磯部は尾張藩士らしいから別人のはずである。どうにも正体がわからない。


 それはいいとして後段に続く挿話が私は今も気にかかっている。

寝惚氏、磯部子と友とし善し、寝惚或るとき「釈迦出山三十歳」と書きて対句を求めけるに、磯部直ちに筆を執りて「羅漢渡水一千人」と附けければ、満坐の人覚えず妙と呼んで喝采せしとぞ

山田三川、小出昌洋編『想古録 2 近世人物逸話集』平凡社東洋文庫(1998年5月)p40

 寝惚氏はおそらく蜀山人のことだろうが、この意とするところが分からぬ。十年前に読んだとき分からず、今も分からぬ

 釈迦出山も渡水羅漢もよくある画題であり、釈迦が苦行のあと成道して山を下りたのは、三十歳(または三十五歳)とされる。ただ、それがどうやって「羅漢渡水一千人」にかかるのだろう。阿羅漢の数を言うときは、十六ないし五百と結びつくことが多く、一千羅漢はあまり聞いたことがない。五百の倍であることに何か意味があるのかもしれない、と思ったが、わからん。

 ふと思ったが、これは両者に共通する意があるのではなく、字の分解による遊びだろう。たとえば『益部耆舊雜記』に、井戸の中に桑が生えた夢を解いて「寿命は四十八」と言い当てたという故事がある。桑は桒とも書き、これを分解すると十十十十と八だからである。

 ならば「三十」は「十」を三つ連ねて「卅」とも書くから、これをひっくり返して二字に分けると「一千」になる、というオチだろうか。であれば「焼肉定食一千円」でもなんでもいいことになる。まさかそんなことはないと思うが、どうにもよくわからない。(後日追記)また、これを分解すると「川」と「一」であり、河川/大江の流れを突っ切って渡る羅漢達を表しているのである。最後の最後でヘンな方向に思考が向いてしまい、タイトルが完全に意味不明になってしまった。まあおもしろいのでこのままにしておこう。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!
  • URLをコピーしました!
目次