柳絮

 短い春の終わり、研究室で一人ぼんやりと窓の外を眺めていたら、白いものが舞っているのに気がついた。

 この地では五月でも時に雪が舞うことがあったが、空は屋や白みがかった青さを宿している。

 いったいなんだろう、と誘われるまま外に出て仰ぎ見たところ、それは小さな綿だった。
――ああ、柳絮だ。この北米の辺地でも見られるんだな。

 当時私はひとり終日言葉を発さず一人で仕事をしていた。年度がわりで同僚はみな帰国してしまい、COVID-19禍と政治事情によって新しい研究員の補充の目処がたたない状態だったからである。柳絮を眺めているうち、朱弁の「送春」を思い出し、わずかに心が慰められた。

風煙節物眼中稀  風煙 節物 眼中稀に
三月人猶戀褚衣  三月 人猶ほ褚衣ちょいを戀ふ
結就客愁雲片段  客愁を結びす 雲の片段へんだんたるに
喚囘鄉夢雨霏微  鄉夢よりかへす 雨の霏微ひびたるに
小桃山下花初見  小桃 山下 花初めて見え
弱栁沙頭絮未飛  弱栁 沙頭 わた未だ飛ばず
把酒送春無别語  酒を把り春を送りて 别語無く
羨君纔到便成歸  羨む 君のわずかに到りて便すなはち歸るを成すを

この地には春を感じさせるものはなにもなく、
三月になっても人々はまだ綿入れを恋しく思っている。
ちぎれ雲を見ては、旅の憂いがつもり、
しとしと降る雨は、故郷に帰った夢から私を呼び覚ます。
山のふもと、小さな桃の木は花をようやく咲かせ、
岸辺の砂地のたおやかな柳は綿をまだ飛ばさない。
酒杯を手に、ゆく春を送るけれども、君(春)にかける言葉はないよ。
なんたって、君はやって来たと思ったらすぐ帰ってゆける羨ましい身の上なのだから。

 朱弁は徽州婺源の人。建炎元年冬、通問副使として敵国金に赴いた。金人の脅迫に屈しなかったため北方に十五年拘留されたがついに帰順せず、紹興十三年、宋と金の和議が成立してようやく故国に帰ることができた。彼に比べれば、私などまだまだである。なによりも、私はこうやって柳絮を見ることもできたのだから。

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