私が若く潔癖であったころ、田園地帯の車窓をぼんやり眺めていたとき、尖塔をいくつか従えた城のようなホテルが見えてきたことがあった。屋根は毒々しいピンク色で、夜はおそらく城全体を浮かび上がらせるのであろう、古びた電飾が何重にも白い外壁を這っていた。思わず「こんな田舎にまであるのか」と毒づき、人間の存在に対する軽蔑を深くしたのだが、あとから思えばずいぶん窮屈な考えであった。
それからまあまあ年をとったり、なんやかんやあったりした。筒井康隆の短篇「あのふたり様子が変」なんかを読むと、田舎の大家族の新婚夫婦の大変さがわかる。江戸時代も状況は大して変わらなかったらしく、宝暦の頃の川柳にこんなものがある。
年寄がないでさいさい根太が落
「さいさい」は再々、何度も。「根太」は床を支える横木。親がどこかに出かけたのを幸い夫婦ふたりせっせと励んでいたら床が落ちた、の意。人が居ない時を選んでいるぶん、こんな夫婦はまだ慎み深い方で、
花嫁の箪笥の環も音のよさ
とか
その当坐昼も箪笥の環が鳴り
という川柳もある。ハテ箪笥の引出しの金具がカタカタ鳴るのはなぜじゃろな、ええ音じゃの、とトボケた川柳である。もっとも頭の良い花嫁だったりすると
嫁の知恵箪笥の環に紙を巻き
なんて知恵を働かせて音を消す工夫をするものらしい。苦心が窺えようというものである。
先日読んだ『日本國現報譱惡靈異記』にこんな一節があった。
大和国に非常に裕福な家があった。その家には娘が一人おり、名を萬之子といった。「よろづのこ」である。念のため。何度か縁談があったが、本人が全て断ってしまい、まだ未婚であった。そこへある男が結婚を申しこみ、引き出物を何度も送ってくるようになった。娘は美しい絹を見て気に入り、ついに結婚を許した。その初夜のことである。
其夜,閨內有音,而言:「痛哉。」三遍。父母聞之,相談之曰:「未效而痛。」忍猶寐矣。
其の夜、閨の内に音有りて言はく「痛や」といふこと三遍なり。父母これを聞きて、相談ひて曰はく「未だ效はずして痛むなり」といひて、忍びて猶寐ぬ。
――その夜、夫婦の寝室から「痛い痛い痛い」という声がした。娘の両親はそれを聞き「まだ慣れないので痛いんでしょう」と話し合い、そのままそっと寝てしまった。
仏教説話集にしては破礼た話だなぁ、と思っていたら、実はその男というのは鬼で、娘は鬼に頭と指一本を残して喰われていたのであった。しかしどう読んでもこれは誤解を誘っているとしか思えない。「助けて」ではなく「痛い」と言わせているあたり作者には悪意があるとみてよかろう。いつも四角四面の因果応報譚をしておいて、急にこんな話を挟んでくるものだから、おかしくなって本を閉じ大いに笑ったのだった。
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