スパイ加藤清正

 文禄・慶長の役が始まる前、加藤清正らが朝鮮偵察に派遣された、という流説がある。史実としてはあり得ない話であるが、『壬辰録』などの野史や説話集により、朝鮮では広く流布されてきたらしい。たとえば『青邱野談』(平凡社東洋文庫、野崎充彦訳)にこんな話が載っている。


 柳成龍(『懲毖録』の著者)には叔父が一人いた。普段家に閉じこもって書を読んでばかりいたが、ある時柳成龍を訪ね「今宵、お前の所に一人の僧が一夜の宿を求めてくるだろうが、決して泊めてはならない。必ずわしの家に来るよう仕向けるように」と言う。柳成龍が訝しみ「その僧侶というのは何者なのですか。なぜここに来て宿を請うのでしょうか」と尋ねても、叔父は「いずれ分かる」としか答えない。

 その日の夕刻、果たして叔父の言葉通り一人の僧が現われ、柳成龍に一夜の宿を請うた。彼は先の言いつけ通り、あくまで食い下がる僧を拒み、叔父の家に行くよう指示した。しぶしぶ訪れた僧を叔父は歓待し、僧はやがて寝入った。夜が更ける頃、叔父は剣を片手に僧に跨がると、大声で僧を呼び起こした。

「清正!汝は己の罪を知るや?」

「私に何の罪があるとおっしゃるのです。どうぞ命ばかりはお助けを」

「おまえの懐中には朝鮮の地図があったぞ。それは罪にはならぬか。三たび朝鮮に入ったのは罪にならぬか。また、我が国を軽んずること、人無きが如くするは罪ではないというか」

 僧はそれを聞いてすっかり観念した。

「おっしゃる通り、私は日本人であります。関白秀吉公が朝鮮を侵すにあたり、その妨げになる柳成龍を除くために、私が派遣されたのです。しかし、このように露見した以上、もう謀も叶いますまい」

「我が国に七年の災厄(壬辰倭乱)がふりかかるのは天命であり、人力では如何ともしがたい。おまえのような狐や鼠の如き者を殺めたところで刀の汚れだ。お前の禿頭も見飽きたから、さっさと海を渡って帰るがいい。ただし、倭人がこの安東の地に一歩でも入ることがあれば、必ず殲滅してくれよう」

 僧は這々の態で逃げ帰ると、秀吉に事の次第を報告した。朝鮮の役で倭兵は広く朝鮮を侵したが、安東の地にだけは近づかなかったという(ただしこれは史実と異なる)。


 この「清正スパイ説」は本邦においてあまり知られていない。史実としてありえない以上、当然のことである。ただ、これに材を採った小説として芥川龍之介の短篇「金将軍」があるので、簡単に紹介する。掌編だが概ね以下の通りである。


 加藤清正と小西行長が僧に扮して朝鮮を偵察していたところ、石を枕に道ばたで寝ている一人の童子を見つけた。清正が枕を蹴外したが、童子は頭が地に落ちることもなく寝入っている。これは只者ではない、と清正が殺そうとしたものの、行長に押しとどめられた。この童子こそ後の金将軍(金応瑞)であった。

 それから三十年後、清正と行長は秀吉の命を受けて朝鮮に侵攻した。行長は平壌で妓生キーセンの桂月香を寵愛していたが、眠り薬をしこまれて寝入ったところを、桂月香と金将軍に襲われ、青竜刀で首を打ち落とされた。首はもとの体に舞い戻ろうとしたが、金将軍が切口に灰をかけたので、果せなかった。金将軍は無事行長を討ったが、桂月香が既に行長の子を身籠もっていることを知り、「倭将の子は毒蛇のようなもの」と桂月香ごと殺してしまった。金将軍によって引きずり出された胎児は「おのれ、もう三月あれば父の讐をとってやるものを!」と叫ぶのであった。


 陰惨な茶番で、私は一向感心しないが、まだ蛇足がある。

 これは朝鮮に傳へられる小西行長の最期である。行長は勿論征韓の役の陣中には命を落さなかつた。しかし歴史を粉飾するのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児に教へる歴史は、――或いは又小児と大差のない日本男児に教へる歴史はかう云ふ伝説に充ち満ちてゐる。たとえば日本の歴史教科書は一度もかう云ふ敗戦の記事を掲げたことはないではないか?

大唐もろこしの軍将、戦艦いくさぶね一百七十艘を率ゐて白村江(朝鮮忠清道舒川県)に陣列つらなれり。戊申(天智天皇の二年秋八月二十七日)日本やまと船師ふないくさ、始めて至り、大唐の船師と合戦たゝかふ。日本利あらずして退く。己酉(二十八日)……さらに日本の乱伍、中軍の卒を率ゐて進みて大唐の軍を伐つ。大唐、便すなはち左右より船をはさみめぐり戦ふ。須叟ときに官軍敗績やぶれぬ。水に赴きて溺死しぬる者おほし。艫舳へとも廻旋めぐらすることを得ず。」(日本書紀)

 いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。何も金将軍の伝説ばかり一粲いっさんに価する次第ではない。

 先ほどまで、見ず知らずの童子を殺そうとしたり、刀がひとりでに人を襲ったり、生首が飛んだり、妊婦の腹を割いて胎児を引きずり出したりするような話をしておいて、いきなり歴史観に話が飛ぶものだから、ずいぶん唐突な、という印象を受ける。さらにその内容もおかしなものである。歴史を材に荒唐無稽の粉飾を加えることと、自国の恥となる内容を国民に教えないことを並列させるのは、かなり粗雑な論理である。

 誤解の無いように言っておくが、国家が自らに都合の良い歴史を取捨選択し、国民に押しつけることの愚を指摘することはあってよい。特にこれが大正十二年、関東大震災の年に書かれたことは、海軍機関学校時代から変わらぬ芥川の姿勢を示すものとして充分に意味がある。ただ、それを本気で主張するのであれば、前段に陳腐な怪奇談を据えるべきではなかった。

 白村江を持ち出すことにも疑問がある。ちょうど両国民にとって大いなる災厄でしかなかった壬辰倭乱が舞台であるのに、わざわざそれから千年近く前の白村江を持ち出す必要がどこにあるのか。もし本気で告発したいならば、当時の噴飯物の皇室神話でも持ってくればよいものを。

 また、この短篇での金応瑞の行状は、「将軍」ではなく刺客のそれである。行長を暗殺するのは別にいい(死んでないが)。罪のない妓女を殺し、胎児を引きずり出す行いが「将軍」の名に値するだろうか。史実では、金応瑞(のち金景瑞)は、壬辰倭乱において奮戦しただけでなく、サルフの戦いで後金に敗れ降伏した後も祖国を思い、内情を通報していたのが露見し処刑されている。まさに「将軍」として讃えられるべき誠士であり、このような架空の陰惨な話によって名を留められるべき人物ではない。

 この短篇を以て「芥川龍之介は国際感覚、、、、を身につけていた」と称揚する向きもあるようであるが、私はとても肯んぜない。

 私は何もあちらの立場に立とうというのではない。敵であっても、国に忠誠を尽した人間に対しては、相応の敬意を払うべきである、と言っているだけである。この朝鮮の壮士が、日本の軽薄な小説家の覚悟の足りない我田引水のために、その名を汚されたことを嘆いているだけである。

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