スイカ糖

 料理の製法を読むのは楽しいものである。

 食譜を眺めつつ、どんな料理か空想するのはよい暇つぶしになるし、随想や回顧録にふと触れられた料理であれば、その調理のさまを想像してもよい。

 明末の文士・冒襄は、亡き側室の小宛がよく作ってくれた献立を『影梅庵憶語』のなかにいくつか書き残している。

夏の五月の桃の果汁、すいかの果汁をとって、ほんの少しの果肉、ほんの少しの繊維にいたるまですっかり漉し尽し、それをとろ火で七八分の分量になるまで煮詰めたところで、はじめて砂糖を混ぜ合わせてさらにとろ火で煮込む。桃のクリームは紅い琥珀のよう、すいかのクリームは金絲内糖のようであった。いつも酷暑のときに、彼女は手ずからその果汁を取って、清潔であることを確かめ、炉の傍らに座って、静かに火加減を見てクリーム状にして、ゆき焦げ付いたりしないように気をつけていた。濃度の異なる数種を作ったが、これはとりわけかわった色、かわった味であった。

取五月桃汁、西瓜汁,一穰一絲漉盡,以文火煎至七八分,始攪糖細煉,桃膏如大紅琥珀,瓜膏可比金絲內糖,每酷暑,姬必手取示潔,坐爐邊靜看火候成膏,不使焦桔,分濃淡爲數種,此尤異色異味也。

大木康「冒襄と『影梅庵憶語』の研究」汲古書院(2010年2月10日)

 『本草綱目』によれば「西瓜汁」には降火(熱を下げる)の働きがあると書かれており、暑夏をしのぐ支えとして小宛はこれを作ったのであろう。


 さて、製法を見てみると、これは「スイカ糖」のことかもしれない。

 「スイカ糖」の製法はほぼ上と同じで、竹へらでスイカの中身を削ぎ取り、布でよく絞った汁を数時間かけて煮詰めるだけである。ただし水分が少なくなると焦げつきやすくなるので、絶えずかき混ぜる必要がある。水飴のようになったら火からおろして完成である。種子も一緒に入れて、煮詰まる前に取り出す、という方法もあるらしい。

 本邦でも腎臓病に効くという迷信があり、さかんに作られていたらしい。先に紹介した、小便筒で酒を飲まされた弥次喜多が次に向かった宿、滋賀県の鳥居本はスイカ糖が名産であったとされる。ただ野暮なことを言うと、確かにスイカ糖に利尿作用はありそうだが、腎臓の悪い人間にスイカのような高カリウムの果物は毒であり、大量の摂取は命に関わるので止めておいた方がよい。

 読み返してみると、小宛は途中で砂糖を加えており、スイカ糖というより、むしろシロップやジャムのようなものを作っていたのかもしれない。もしくは冒襄は別の所で「香ばしいもの、甘いもの、それに海産物、干物の類いが好み」だと自ら書いているので、それを知る小宛が甘めの味つけにするために加えたのだろうか。彼女の方は甘い物はいけなかったらしいから。

 『影梅庵憶語』の筆致は、小宛がせっせとかき混ぜている様子が目に浮かぶようである。きっと冒襄は小宛が作業しているところを何度も眺めたことがあるのだろう。記憶のなかに遺る亡妻に紅差すよすがとして冒襄がスイカ糖を選んだことを、私はどこか好もしく思った。

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