ウェーター「鈴木でございます」

 日本史の授業に早良さわら親王という人が出てきたことがあった。

 アホ中学生の私は「鰆親王ねぇ」と、半魚人が恨めしげに口をパクパクさせる様子を思い浮かべニヤニヤしていたのだが、それを見てとった教師が呆れつつ

「あのな、サワラってのはサカナの名前からとったんじゃない。この時代の親王や内親王の名はたいてい乳母の名からつけられるんだ」

と教えてくれたことを今でも覚えている。もっとも阿呆の方は「やっぱり乳母のサワラってのがいたってことじゃん」とケロッとしたものであった。

ムクロメ「SAN値直葬!闇バイト」

 今も昔もこの手の冗談はわりとあるものらしく、古の名作コピペにこんなものがある。

今日久しぶりにレストランに行ってきた。
隣のテーブルにカップルが座っていて、ウェーターが料理を持ってきた。
「鈴木でございます」とウェーターが言った。
カップルの男の方が「久保田でございます」 女の方が「細谷でございます」と言った。
ウェーターは、背中を小刻みに震わせながら、
「本日のお勧めの魚のスズキでございます」
と説明していた。

 今も昔もアホの私はこういうのを見ると笑ってしまうのだが、あれからいくらか本を読んだ私が思い返すと、「鈴木」姓の人が「鱸」を称することは別に無いことではないのである。

 たとえば私の知っているところでは、幕末から明治にかけての漢詩人に鱸松塘という人がいる。安房の人で、梁川星巌に学び、のち江戸浅草に七曲吟社を開き漢詩や書画をおしえた。彼の本姓は鈴木である。そしてその子らも鱸姓を名乗っている(鱸透軒、鱸采蘭)。ほかに本姓が鈴木で鱸を名乗った人を調べてみると、鱸白泉(水戸藩士)、鱸松江(漢学者)、鱸有飛・有鷹(ともに国学者)、鱸半兵衛(蘭学者)らがいるようだ。

 一方で伊藤さんが伊富魚を称したり、三馬さんが秋刀魚とか、間黒さんが鮪とか名乗ったとは聞いたことがない。いや、もしかするとあるのかもしれないが、鈴木と鱸ほど多くはなさそうだ。


 昨日『平家物語』を読み返していたらおもしろい記述があった。

平家かやうに繁昌せられけるも、熊野權現の御利生とぞ聞こえし。其故は、古清盛公、いまだ安藝守たりし時、伊勢の海より船にて熊野へ参られけるに、大きなる鱸の船に躍り入りたりけるを、先達申しけるは、

「是は權現の御利生なり。いそぎ參るべし」

と申しければ、清盛宣ひけるは、

「昔周の武王の船にこそ、白魚は躍り入りたりけるなれ。是吉事なり」

とて、さばかり十戒をたもち、精進潔齋の道なれども、調味して、家子侍共に食はせられけり。其故にや、吉事のみうちつづいて、太政大臣まできはめ給へり。子孫の官途も、竜の雲に昇るよりは、猶すみやかなり。九代の先蹤をこえ給ふこそ目出たけれ。

巻一「鱸」

 平清盛が熊野神社に参詣したとき、大きな鱸が船の中に躍りこんできたという。「これは吉兆である」と料理して食べたところ、清盛は太政大臣にまで上り詰め、平家も繁栄を極めた、という話である。

 熊野と鱸から思い出したのだが、鈴木氏もまた熊野の出である。「鈴木」姓は稲積みに立てる聖木に由来し、熊野三家の神官・穂積氏からわかれた。熊野信仰が平安後期から鎌倉期にかけて高まるにつれて全国に勧請され、それとともに鈴木氏も全国に広がったのである。

 もしかすると、鈴木氏が鱸を名乗るのは『平家物語』の「熊野の鱸」のエピソードが関連しているのかもしれないな、と思いちょっと愉快であったのでここに記す。

  • URLをコピーしました!
目次