バスを待ちながら、壁に貼ってあるアジビラを眺めていた。
なにやら激越な口調で現政権に対する批判が書かれており、「このような無見識な人間が首相とは両腹痛い」と赤インキで締められていた。
内容は一切頭にはいらなかったが、「両腹痛い」というのはおもしろいしゃれだな、と思った。「傍ら痛い」から「片腹痛い」を経て「両腹痛い」とは、掛け違った道を順調に進んでいるようだ。
「もしかして最近はそういう言い方をするんかなー」と思い、バスの中でXperiaを取り出して日国を引いてみたが、まだ立項されていないようである。では「片腹痛い」で言及されているかも、と見てみたが、そうでもないようだ。まあ単なるしゃれなのでしかたない。
そもそも「両腹」とは妙な言葉である。「両」は、ふたつで対になっているものについて、その双方を合わせたもののことである。「両わき腹」や「両側腹部」*なら何の問題もない。左右あるものだからである。それを略して「両腹」と言われると、「なんやあんさんには腹がふたつございますンで?」と首をかしげてしまう。
* 「両側腹部」は「両・側腹部」なら左右の側腹部だし、「両側・腹部」なら左右側の腹部。
うちの業界でも、入りたての研修医が、診断依頼書の「左腹部」を”left abdomen”とよく書いてくるので、”flank”にするか”side of”にして欲しいなぁ、といつも思っている。もっともこの点をnative speakerに訊ねると、「まあそうだけど、日本人は細けぇなぁ」という反応だったりした。
さて。しばらくして。
宮本外骨が創刊した『大阪滑稽新聞』を眺めているとき、やにわに「両腹痛い」が出てきて驚いた。
これを事實だとすれば、呆れて両腹が痛いと云ふより外はない、
『大阪滑稽新聞』明治四十二年十二年十五日發行 第二十八號

おやおや明治には既にこのしゃれがあったのか、と思い調べてみると、あるわあるわいくらでもある。
喜劇なぞと云ふのは片腹否兩腹痛いことで、
『演藝畫報』第一巻(第十二號)、東京、演藝画報社、明治四十年十二月一日

それで社會の耳目などゝは、片腹どころか兩腹が痛い。
『中央公論』明治三十六年五月十日發行、東京、中央公論社

實に片腹どころか兩腹が痛い
『新聲』第二十巻第九號、明治四十二年十月一日發行、東京、隆文館

一番古いものは1881年である。
之れを是れ知らずして東洋政畧抔とは些と片腹どころではなく兩腹迄も痛いとなれは
『中立正黨政談』第三十七號、政談社、東京、明治十四年五月一日

もともと「かたはらいたい」という言葉があった。枕草子に「かたはらいたきもの、よくも音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで、心の限り弾きたてたる。」とあるように、平安時代中期には既に使われていた。一説によれば、傍らで振舞いを見ていたく思う気持ちから生まれたとされる。「そばで見ていてつらく思うこと」という意味であり、漢字をあてるならば「傍らいたい」であった。
平安末期には「は」が「わ」に変化し、「かたわらいたい」となったが、「かたはらいたい」も使われ、両者はほぼ同じ意味で用いられた。これらも漢字をあてるなら共に「傍らいたい」である。
おおむね江戸時代から「かたはらいたい」は「片腹痛い」と意識されるようになり、「かたわらいたい」は徐々に使われることが少なくなった。また「かたはらいたい(片腹痛い)」は、笑止千万! と相手を嘲弄する意味で用いられることが多くなったようである。
さしあたって私は上記のように理解していた。
そして今回。遅くとも明治初には「片腹痛い」から「両腹痛い」が生まれていた、ということなのだろう。「片」の上は「両」しかなかろうから、「片腹痛い」という言葉が使われ始めた時点で、その強調として「両腹痛い」を想起するのは、しかたのないことのように思われる。もちろん「両腹」という字面には違和感を拭えないが。
私は別にこの用法を容認せよ、と言っているわけではない。ただ、既に生まれていたという事実だけは、正しく認知しておかなければならない、と思ったのである。私は明治時代の用例をずらずら挙げたが、「両腹痛い」の始まりはさらに前、おそらく江戸時代に遡ることができるだろう。
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