何年も後になって「あれはちょっとまずかったな」と、何気なく発した言葉を後悔したことは数えきれない。今日またひとつ思い出したことがある。
田舎病院での研修が終わったときのこと。二年間の修行期間を共に過ごした同期はそれぞれの進路を選び、全国に散ることになった。私はもう少しこの病院に残ることになった。研修医仲間行きつけのM***という居酒屋で杯あげて門出を祝ううち、この病院を去る仲間に寄せ書きを作ることになった。
「困ったことになった」と当時の私は思った。私はとにかくこの手の寄せ書きが苦手だからである。おざなりな言葉を書きつけるのは不誠実に思え、さりとて真情をこめるのは照れくさい。しかたなく、たまたま机にあった詩集を取りあげ、そこから詩を引いて誤魔化すことに決めた――その方が数段はずかしい気もするが、さらにその詩文がいけなかった。
私がとある女医にあてて写したのが下の詩である。
綾にしき何をか惜しむ
惜しめただ君若き日を
いざや折れ花よかりせば
ためらはば折りて花なし勸君莫惜金縷衣
勸君須惜少年時
花開堪折直須折
莫待無花空折枝
杜秋娘
綺麗な衣を惜しんではいけませんよ。青春の日々こそ惜しみなさい。咲いた花が美しいのなら、すぐに手折りなさい。手折るのをためらっていると、そのうち花は散ってしまいますよ。
――好きな人がいるのなら、すぐに思いを遂げなさい。ぐずぐずしていると、決心した頃にはその人はいなくなってしまいますよ。
私がわざわざこれを選んだのは、当時その女医が同期と結婚するのしないの、と迷っていたためである。私には二人は非常に相性が良いように思えた。女医の方には私はほぼ関心が無かったが、相手の方は私が見るに同期のなかで最も真率かつ才智に富み、私が病気になれば彼に身を託してその言に従えば間違いあるまい、と思われる男であった。ただ多少誤解を受けやすい性格であったから、酒席で不在の彼が何かと言われるのに耐えられず義憤のあまり何度か弁護の長広舌をふるった覚えがある。
だから彼女が彼を選んだことは意外であったものの「おや、彼を選ぶとは阿呆ではないんだな」と見直したほどであったから、「ぐずぐずするな」と後押しするつもりでこの詩を引き、上記の寓意をこめたつもりであった。
ただだいぶ記憶が曖昧なので、もしかするとこちらの詩だったかもしれない。
若き命は束の間の
よろめき行くや老來へ
わが言の葉をうたがはば
霜に藉かるる草を看よ年少當及時
蹉跎日就老
若不信儂語
但看霜下草
子夜
いずれにせよ「心に決めた人がいるのならすぐに行動にうつしなさい」の意である。これらの詩はいずれも佐藤春夫の『車塵集』から引いたものである。
さて、今日ふと『車塵集』を読み返していたとき、なにげなく奥付を見て、この詩集が「細君譲渡事件」のさなか上梓されたことに気づき愕然としたのである。
「細君譲渡事件」のあらましはこうである。
大正四年、 谷崎潤一郎は石川千代と結婚し、翌年長女鮎子をもうけた。しかし、谷崎は従順で貞淑な千代にすぐ飽いてしまい、逆に奔放な性格である千代の妹・せい子に惹かれるようになった。佐藤春夫は当時谷崎邸に出入りしていたが、谷崎に冷たい仕打ちを受ける千代に同情し、やがて同情は恋慕にかわったのである。しばらくして千代は娘の鮎子を連れて佐藤の下に逃れるが、谷崎によって強引に連れ戻されてしまい、佐藤は神経を病んで田舎に引っこんでしまう。この時代に作られた「秋刀魚の歌」には、人妻である千代への変わらぬ思慕が綴られている。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
言うまでもないが「男」とは佐藤自身、「人に捨てられんとする人妻」は谷崎の妻・千代、「愛うすき父を持ちし女の児」は谷崎の娘・鮎子である。
昭和五年八月、谷崎と佐藤は連名で新聞広告を出し、佐藤は谷崎の妻・千代を譲り受けることになる。昭和四年に上梓された『車塵集』が「細君譲渡事件」と無関係のはずがない。
前節に挙げた二詩は、「車塵集」のそれぞれ冒頭・末尾に掲げられている。いずれも戀人に決断を促すものであり、このような配置になっているのは偶然ではあるまい。背景を考えるならば、これらは他人の妻であった千代に対する呼びかけである。この頃、千代は既に三十を越えており、これは平均寿命が五十にも届かない当時にあっては、十分に盛りを過ぎた歳であった。「よろめき行くや老來へ」「惜しめただ君若き日を」と残された時の少なさを訴え、「いざや折れ花よかりせば」「わが言の葉をうたがはば 霜に藉かるる草を看よ」とかきくどいている。これが千代へのメッセージでなくて何であろう。
――わたしはどうも、人妻にならんとする同僚に妙なことを言ったのかもしれぬ。この詩が人妻に対する呼びかけと彼女に悟られれば、横から懸想しているものと誤解されかねないではないか。今更ながら我が失敗を知らされ愕然としたのである。
あれから十年以上の日が経った。
かつての同期ふたりは結婚し、何度か私を家に招いてご馳走してくれた。ふたりの間にできた娘さんたちは、大きな腹の私がバスで帰るのを見てトトロと思ったらしい、とあとから彼から聞いた。そんな娘さんたちのことを思い起こしながら、私はかつての粗忽をひどく恥かしく思った。
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