京都の町を同僚と歩いていたとき、向こうから優雅な和装の女性がやってきたので、
「あ、舞妓さんがおる」
と言ったところ、
「あれは藝妓さんやで」
と訂正されたことがあった。彼はいろいろ形態学的鑑別点を教えてくれたのだが、残念ながら「へーよう知ってんなぁ」と相槌を打った瞬間に全部忘れてしまった。ただ、「なんか休みがなくって大変らしいで」「なんやどこも同じやな」という会話をしたことだけを覚えている。
現代のことはよくわからないが、むかしの藝者さんは本当に自由がなかったようで、『名残のゆめ』のなかに、一日休暇を貰った藝者たちが桂川家で大いに羽を伸ばす様子を語った一節がある。その日ばかりは藝者と客の立場が逆で、藝者さんたちを皆がもてなしてやるのである。
その日はお客様の方で遊ばしてやる、芸者をお客にして今日こそのびやかに遊ばしてやります。また名前も桂川様とか殿さまとか言わないで、カネールカネールと父のことを言いました。水品さんはたきさん(あちらでは旦那さんという意味でしょうか)、あごが長い成島さんはおばけと言われなさいました。そのお皿をこっちに取って下さい、そのお肴をくしにさして下さい、という調子で、芸者からつかわれてゲラゲラ笑いながらごきげんで、いっしょになって揚げものなどしていらっしゃいました。神田さん、宇都宮さん、柳河さん方もぶきっちょな手つきでお給仕やく、気が利かなくって罰金をとられたり、いつもの意趣返しとかなんとかワアッワアッと大笑いでした。
『名ごりの夢 蘭医桂川家に生れて』平凡社東洋文庫 1963年
引用中にも「揚げもの」と出てくるが、桂川家にやってきた藝者さんたちが一番したかったこと、それは「一ぺん、えびの天ぷらを揚げて、揚げたてをすぐにたべてみたい」というものであったという。こういう好みというものは日本人は昔から変わらないのだなぁ、と読んでいた私は大層感心した。

まったく、エビの天ぷらは実に美味い。
私が作るときはだいたいこうである。粉は薄力粉3と片栗粉1で、卵を落として荒くかき混ぜる。エビは料理酒で洗い、ほんのすこし塩コショウをふりかける。エビに衣をつけたらさっさっと揚げ、いらん油をキッチンペーパーで落としたら、テーブルまで持って行く暇を惜しんでその場で立ったまま食うのである。行儀が悪くともこれが一番うまい。
えびてんと藝者さんで思い出したのだが、先日「ホトトギス」に載っていた小説*を読んでいたら、すこし気にかかるところがあった。落魄した主人公が昔馴染みの藝者と再会し、どこかで食事でもしながら話そう、という場面である。
* 狗童(不詳)「お能のひま」
「どこでもいゝんだが。……こゝは新しい内だね」
「えゝさう新しくもないのですけれども、旦那がいらしつた時分には無かつたでせうね」
とお花を顧る。
「何を喰はせる?」
「金ぷらがおしいのですよ。それは!」
「金ぷらか。金ぷらはいゝが、この向ふは能樂堂ぢやないか、めつけるといけないぜ」
「ホトトギス」第十八巻第八號(二百二十五號)、1915年5月
小説に「金ぷら」を食べる場面はないのだが、この「金ぷら」がなにか私にはわからなかった。エビの天ぷらを「えび天」、キスなら「キス天」、サツマイモなら「イモ天」と略したりするから、たとえば金魚――じゃなかった金目鯛のテンプラとかそんなものだろうか。この場合「金天」より「金ぷら」の方が呼びやすかろう。
私のくだらない憶測は措いてちゃんと調べてみると、『皇都午睡』三編上に「揚物を、天麩羅また金麩羅とも」とあるから、どうもてんぷらの親戚らしい。また『日本社会事彙』で「テムプラ」の項を引くとこう書かれていた。
又ころもに玉子を交へたるを金ぷらなといへり。(中略)金ぷらは。日本橋木原店にあるを最上となす。
【金ぷら】は天ぷらの衣に鶏卵を入れて色黄なるを云ふべけれど。又按するに。油にて煮たる牛蒡を金ぴら牛蒡と云ふが如く。金平浄瑠璃より出でたるの名なるべしと云ふ考もあり。果たして然るときは。金ぷらの名の方。天ぷらよりも古きにや。此名稱終に考ふべからす。
『日本社会事彙 下巻』(1902年)928ページ
おや、もしかして私が作っているのは「えびのてんぷら」ではなく「えびの金ぷら」なのだろうか。大正時代の料理書*を見ると、衣に卵黄を混ぜると「金麩羅」、卵白だけの時は 「銀麩羅」と呼ぶ、と書かれていたりする。なるほどわかりやすい。
*野口保興『家庭経済 食物の調理』(目黒書店、1918年)353ページ
しかしそれは違う、という意見もあるようだ。
衣の中に卵の黄身を混ぜたのが金麩羅だといふ錯覺から始まつて、白身を混ぜたのは銀麩羅だなどと、ラヂオの放送などやる料理の先生で、眞面目に脱線してゐるのがあるのですから、恐をなさゞるを得ません。(中略)衣を小麥粉で攪いたのが天麩羅、蕎麥粉で攪いたのが金麩羅、たゞそれだけのちがひなのです。
「天麩羅と金麩羅」/『食卓漫談』大日本雄辯会講談社、1934年

このあと「ちやんと大日本百科大辭典にも載つてゐます」と筆者が書いているので参照すると左の如くである。「金浮羅」という漢字のあて方もあるらしい。
『日本百科大辭典』三省堂、1908-1919
発明したのは江戸両国柳橋にある深川亭の文吉という人だそうだ。『江戸名物詩初編』にも深川の名物として挙げられているからおそらくその通りなのであろう。
蕎麦粉を使って揚げたテンプラが金麩羅なんだったら、そばがきの金麩羅は金金麩羅とか黄金麩羅とか呼ぶのかなぁ……などとアホなことを考えたのだが、そもそもなぜ「金麩羅」という名を彼はつけたのだろうか。色合いからすると卵入りの方がよっぽど金麩羅らしい。蕎麦粉だとよくて「銀麩羅」である。おそらく銀の語感を嫌ってちょっと背伸びをしたのではないか、なんてことを思ったのだった。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます