スピロノラクトン体は消えゆくのだろうか

 教科書的には有名なのに「最近見かけないな」と思うのがスピロノラクトン体 (spironolactone body) である。

 スピロノラクトン体とは、スピロノラクトン投与患者の副腎皮質球状層やアルドステロン産生腺腫の腫瘍細胞に認められる細胞質内封入体である。1963年に初めて報告された。スピロノラクトン投与開始から数週間で出現し、投与期間が長くなったり投与を終了したりすると徐々に消失する。形態は好酸性かつ同心円状で、周囲にhaloを伴う。特殊染色ではLuxol fast blue (+) / PAS reaction (-) が典型的だが、逆の場合もありえるらしい。由来は不明だが滑面小胞体と考えられている。

 いつだったか、レジデント数人に下の写真を見せて「これが何かわかるかな?」と尋ねてみたことがあったが、返答は一様に「なんですかこれ?」であった。まあこれは仕方のないことである。私はここ30年のあいだ大学病院で手術された副腎の標本を全て見る――見させられる機会があったが、スピロノラクトン体を見たのはほんの数回である。彼らに示した写真も1991年の標本で撮影したものである。1991年といえば今の若いレジデントたちは生まれてすらいない。私もファミコンに夢中な小学生でしかない。

 スピロノラクトン体を見かけなくなったのは、原発性アルドステロン症に対するスピロノラクトン(商品名アルダクトン)投与の頻度が減少したことが原因のようである。

 ひとつは、外科的切除を積極的に行うようになったこと、もうひとつは、2002年のエプレレノン(商品名セララ)の承認により、鉱質コルチコイド受容体選択性が高く、女性化乳房や月経不順などといった副作用が少ないエプレレノンが優先して使われるようになったことが背景にある。なお、非常におもしろいことに、エプレレノン單獨投与例でスピロノラクトン体が見られたという報告はないようである。

 スピロノラクトン体はそれを見つけたからといって患者の予後に関わるわけではなく、診断のclueになるわけでもない。「ああスピロノラクトンを投与されていたんだな」と推察できるだけである。だから別に惜しむ必要はないのかもしれない。

 ただ、すこし想像を巡らせば、時代の変化による流行疾患の消長や新しい薬剤の登場によって姿を消し、私たち今の病理医が知らない所見も数多いのではないだろうか。たとえば、結核が猖獗を極め、さまざまな治療法 ――胸郭形成術や人工気胸術、あるいは怪しげな売薬―― が試みられた時代、それらに起因する形態学的変化もまた数多くあったに違いない。もし当時の病理医に「これが何かわかるかな?」と問われれば、私もまた「なんですかこれ?」と言うしかない。

 これらは形骸の醜なるものであるかもしれないが、生体の示す形態学的反応としてまた記憶されるべきもののように思われる。スピロノラクトン投与によるこの細胞質内封入体は、それが何であるか明らかにならぬまま、「なんですかこれ?」と消えゆくのかもしれない。なので私はここにすこし書き留めておこうと思ったのである。

  1. Janigan DT. Cytoplasmic bodies in the adrenal cortex of patients treated with spironolactone. Lancet. 1963;1:850-852.
  2. Patel KA, et al. Adrenal gland inclusions in patients treated with aldosterone antagonists (Spironolactone/Eplerenone): incidence, morphology, and ultrastructural findings. Diagn Pathol. 2014;9:147.

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